60歳からの挑戦!「たましいの教室・イチイ分校」開校へのご支援をお願い致します!

60歳からの挑戦!「たましいの教室・イチイ分校」開校へのご支援をお願い致します!
絶望・どん底・崖っぷち!半世紀「どん底のプロ」だった私が「人生の羅針盤」ともいうべきメソッドに出逢い、生き方を180度変えたところ人生の大逆転が起きました。このメソッドを「人生に生き辛さ」を感じている女性にお伝えしたい。たましいから光輝く笑顔の女性を増やしたい!札幌に「たましいの教室」を開校します。

▼ ご挨拶

初めまして。熊野 栄子です。

ページをご覧頂きありがとうございます。

私は現在、心理カウンセラー、美容の整体師、ヒーラーとして活動しています。

半世紀に渡り「どん底のプロ」人生を送ってきた私が・・・

*53歳から婚活を始め、翌年に熟年婚

*55歳で美容の整体師(モンテセラピスト)となり

*58歳で心理カウンセラーの認定資格を取り

*33年間続けた看護師から、還暦でセラピストに転身しました。

周囲の人からは「何もその年になってから無理しなくてもいいんじゃない?」

と言われ続けてきました。

ですが、本当の夢や望みを叶えた今、皆さんにお伝えしたいのは

諦めるのはまだ早い!何歳からでも夢や望みは叶えられる!

花の命は結構長い!(笑)

ということです。
▼私がこのプロジェクトで実現したいこと

現在の混沌として先の見えない長引くコロナ禍の中で、希望を持てずに自分の将来の夢や人生のビジョンを描けないでいる人が増えているのではないでしょうか?

私は「たましいの教室」講座を札幌で開校し、「人生の羅針盤」ともいうべき

メソッドである「イチイ手帖」を使って

どんな自分を出しても安心・安全な場所で

本当の自分と向き合いながら

心から分かち合える仲間とともに

自分が真に望んでいる夢や希望を叶えて人生を輝かせて欲しい!

内面から輝く笑顔の女性を増やしたいのです。
▼このプロジェクトをやろうと思った理由

<長い暗闇の時代>

まず、私がこのような活動をはじめるようになった動機についてお話しさせて下さい。

私は幼い頃から内気な性格で自分の本当の気持ちを言葉で表現することができない子どもでした。

幼稚園で私をいじめる子どもがいても声も出せずに、じっと我慢して先生や親にも言えずに耐え続けていました。

身体も虚弱体質で常に病院通いをしていました。そこで会う看護師さんの白衣に憧れて看護師になりたいと思いました。

そして看護師になり病院に勤務しましたが、看護師同士やDrとの人間関係が難しく、どんどんストレスが溜まっていきました。

28歳で結婚しましたが甲状腺のバセドウ病、卵巣脳腫で手術、子宮内膜症、慢性疲労症候群、など次々に病気に見舞われました。

自然妊娠は難しいと言われて不妊治療を受けて一度は妊娠しましたが、3ヶ月で流産してしまいました。

さらに、私には聡明で優しい7歳年上の姉がいたのですが、メンタルに大きくダメージを受ける事が起きたことを機に、精神を病み、自死してしまうという信じられない出来事も起きました。自宅での焼身自殺だったため、不審死として扱われ、警察が入りました。遺体の損傷が激しいので対面せずにお姉さんの美しい思い出を大切にして下さいと言われて最後のお別れも出来ないまま葬儀が終わりました。

人は掛け替えのない大切な家族を突然失った時、涙さえ出ずに、喪失感さえ湧かないものだということをこの時初めて知りました。

事実として受け入れることが出来ずに、時間を逆戻りさせたいと頭の中を堂々巡りさせていました。姉を救う事が出来なかった自責の念や後悔、一方で姉もこれで楽になれたのかも知れない、と思ってしまう自分への罪悪感。

後にこの体験が心理カウンセラーになりたいという強い動機になりました。

そして夫との関係も上手くいかなくなり、40歳で離婚をしました。

このようなことが立て続けに起こったものですから私の中で「ああ、人の人生は生まれた時から既に決まっていて、自分は一生不幸な運命なのだ」とすっかり諦めてしま