みんなで創るタウン誌リバ!創刊40周年記念誌発行プロジェクト

みんなで創るタウン誌リバ!創刊40周年記念誌発行プロジェクト
1980年に創刊し、現在も続いているタウン誌は、全国的にも大変稀有なものです。私たちは、まちの情報を伝えることで、多くの岡崎の魅力を知っています。コロナで激変する地域経済。いくつもの商店や事業所が消滅する中、それらを含めた地域の魅力を次代に遺すために、1冊の本として編纂することを決めました。

はじめに・ご挨拶

私たちは、月間で発刊し続けるタウン誌の編集を行う編集者です。この度は、40周年記念誌発行プロジェクトに興味を持っていただき、誠にありがとうございます。

情報誌、フリーペーパー、タウン誌、クーポン誌などいろいろな呼ばれ方をするエリア限定の雑誌。こうした様々な呼称が生まれる前から、岡崎・幸田のタウン誌「リバーシブル(通称リバ!)」は存在しています。そもそも私、浅井が代表を務め始めたのは約15年前の2005年から。それ以前の1980年から創刊し、無事に40周年を迎えることができたのも読者のみなさま、スポンサードしてくれている会員店のみなさまのおかげです。ひと口に40年と言っても、その時の流れの中には、様々なドラマがあります。編集技術的にも岡崎・幸田という地域に関しても大きく変化してきました。40年前の岡崎には、たくさんの個人商店がありました。それらがテナントとして入っている名鉄ホテル内の「メルサ(後にメルセーズ)」や「松坂屋」の4Fより上に入っていた「クレオ」。「セルビ」など大型の商業施設がいくつもあり、そこにはたくさんの小売やサービスがありました。1980年から現在に到るまでに、数百というお店が無くなり、高層マンションへと変わっていったのです。その変貌と裏腹に、変わらない人の思いや神社などの景観もあります。

そして、編集しているスタッフが変わりながらも本誌リバ!は今も残っています。創刊当初は、株式会社ペーパードールという喫茶店事業を営む会社が発行していました。そして、写真撮影はフィルムカメラで、現像していましたし、写植をして紙を切り貼りして、版下というものを作成し印刷していたのです。そうした想像を絶する業務内容を経て1冊の本が出来上がっていました。私が発行元に入社した時には、MacのOSは漢字Talkでギリギリデータ入稿が完成されていた時代でした。ホームページという言葉が世に出回りはじめ、毎月ページミルやGoliveというホームページビルダーのような更新ソフトを使ってリバーシブルのサイト更新を行なっていました。現在、本誌の編集に携わるスタッフは3人ですが、当時は6人で毎月の業務を行なっていました。まさにパソコンやデジタルデータの効率化によって、編集ができるように変わってきたわけです。

新聞や雑誌など紙媒体そのものは、こうした技術の変化やインターネットの普及と共に、激減したカテゴリのひとつです。とくに岡崎と幸田に特化した地域の情報誌というコンセプトを持つ以上、ビジネスモデルそのものに限界がある本誌としては、もはや風前の灯と言っても過言ではありません。まもなくこうして毎月様々な地域情報を届けることが叶わなくなるかもしれないと思ったのは、新型コロナウィルスによる影響も大きいです。地域の様々な拠点への集客そのものが、危険行為になり、そうした地域のビジネスが大きな転換期を迎えることになりました。「このままでは、岡崎で起きてきた様々な庶民的な出来事は埋もれて無かったことにされてしまう」。そこに息づいてきたものを残したい。そこで、これまでの岡崎で様々なニーズに応えてきた本誌やそれぞれの商店やサービス内容をアーカイブして、記念誌として編纂しておきたいと思い立ったのです。

1982.6(21号)「ザ・インタビュー2 「やったね゛あみん゛ポプコングランプリ」岡村孝子20歳」

2000.9(240号)「市電が駆け抜けた道 今も残る「電車通り」の名前」

2012.6 (380号)「みどりやの記憶」2015.5(415号)「噂のYouTube