2021年晩冬、コロナ禍中緊急事態宣言真っ只中の東京。
伊良コーラは「新しい挑戦をする」という大きな決断を下しました。
それは
「東京の中心地、渋谷・原宿エリアの目抜き通り「『キャットストリート』に新店を出店する」
という挑戦です。
なぜ、まさにこのタイミングでこのような挑戦をすることを決めたのか、
伊良コーラの「これまで」と「これから」の話をさせてください。
伊良コーラのこれまで
伊良コーラの代表「コーラ小林」は2018年に東京の青山ファーマーズマーケットに小さな青い
移動販売車で出店をしてから、約3年間、一人で孤独にもがき続け、なんとかやってきました。
「コーラ小林」は、彼の祖父の漢方工房を改装したコーラ工房(東京・下落合)でコーラを作り続け、
地に足をつけ、一杯500円のコーラを3年間で述べ10万人以上の方達にお届けしてきました。
アルバイトスタッフ、インターンの学生スタッフ、業務委託で手伝ってもらった旧友、外注先のスタッフ、
時には親戚の手も借りつつ、なんとかやってきました。
そんな状況だったため、周りにはいつも「危うい」と言われ続け、
伊良コーラはまさに吹けば消えてしまう灯火のような存在だったかもしれません。
また、「コーラ小林」には「仲間」と呼べる存在はおらず、
日々、工房や社外で起こり続ける様々なトラブルに神経と命をすり減らし続け、
自分が好きで楽しくて始めたことではありましたが、
いつの間にか「しんどい」と思う気持ちの割合が増えて行きました。
この1年は、純粋な楽しさよりも、「伊良コーラをより多くの人に届けたい」という
執念めいた何かに突き動かされるように、「コーラ小林」は事業を続けてきました。
伊良コーラのこれから
2021年2月、東京では二度目の緊急事態宣言が発令され、
2021年2月26日現在も緊急事態宣言下にあります。
約2年前、新型コロナが蔓延する前の2019年当時、渋谷/原宿エリアは、
東京五輪を心待ちにして明るい未来を期待するたくさんの人たちで賑わっていました。
そして渋谷/原宿エリアの中でもひときわ賑わっていたキャットストリートで、
伊良コーラ代表の「コーラ小林」はリヤカーを引いてコーラを届けておりました。
未来への明るい期待と活気にあふれていたキャットストリート。
ですが、日本中に新型コロナが蔓延してから、こんな言葉を何度か耳にしたことがあります。
「キャットストリートは死んだ」
と。
そして、そんなタイミングで「新しい店舗を出店したい」と口にすると、
「こんな時代に、しかもキャットストリートに新店舗を開店するなんて馬鹿げている。」
「一度痛い目を見ればいい。」
という言葉を受けたこともあります。
ですが、
「こんな時代だからこそ、やらねばならない。」
と思いました。
コーラが生まれた1886年のアメリカは、南北戦争後、人々は疲弊し、
町中に薬物中毒の人々が溢れる世の中でした。
そんな中、漢方を学んだ薬剤師「ジョンペンバートン博士」は人々の健康と明るい世の中を願い、
世界にコーラを生み出しました。
今の日本も、全ての人がいつ晴れるか分からない霧の中にいるような気持ちを味わっていると思います。
そんな状況の中で、1対1で向き合う接客を何百、何千、何万と繰り返すこと。
1杯のコーラを通じて喜びと幸せな気持ちを届け続けること。
伊良コーラが初めて表参道のファーマーズマーケットに出店をしたあの日、
移動販売車「