次の百年へみんなの想いをつなぐために、聖徳太子の銅像を建てたい!!

次の百年へみんなの想いをつなぐために、聖徳太子の銅像を建てたい!!
令和3年は聖徳太子没後1400年となる節目の年。聖徳太子の御廟がある大阪府太子町。私たちはこのまちと、聖徳太子のことを「もっと多くの人に知ってほしい。もっと身近に感じてほしい」という願いのもと、聖徳太子像を建て、次の百年に繋げたい想いです。どうか皆様のお力添えをお願いいたします。


2021年は聖徳太子没後1400年となる節目の年です

はじめまして、こんにちは。私たちは聖徳太子の御廟がある大阪府太子町の自治会・各まちづくり団体・ボランティア団体・観光協会や町を含む14団体でつくられた【聖徳太子没後1400年記念実行委員会】です。
大阪府太子町は、大阪府の東南部に位置し、大阪市から高速で30分、関西空港から高速で30分でアクセスでき、奈良県との県境にあります。

日頃は各団体ともに、“活力のある元気で明るいまち”になるよう活動しています。今回はこの活動の一環として、聖徳太子没後1400年となる100年に一度の節目に改めて「聖徳太子の功績や、受け継がれてきた思想を一人でも多くの人に知ってほしい」という想いから、この実行委員会を立ち上げました。

▲左から、実行委員会会長 澤田 清、太子町長 田中 祐二

実行委員会の各団体名や、事業などこちらのページに記載しています。
https://www.town.taishi.osaka.jp/busyo/machidukurisuisinbu/kankousangyou/2284.html

聖徳太子は飛鳥時代を生き、多様な分野においてその才覚を発揮し、歴史に名を遺しました。
世襲に捉われず、個人の才能や功績に応じて位階が与えられる「冠位十二階の制定」、官僚や貴族に対する道徳的な規範を示した、日本最古の憲法と言われる「十七条憲法の制定」など、斬新かつ革新的な実績を遺した聖徳太子の偉業は国の礎を築いたといっても過言ではありません。

また、中国との国交を再開させた遣隋使の派遣では、有名な「日出る処の王子、書を、日没する処の王子に致す」と、規模の大きい国に対してひるまず、強く主張し、独立した国であると認めさせるなど、外交の力量も卓越していました。
町の玄関口(上ノ太子駅前)に聖徳太子の銅像を建てる

太子町に訪れる方たちがよく利用される近鉄南大阪線 上ノ太子駅前に銅像を10月頃に建立する予定です。
聖徳太子を後世に

太子町には、梅の花びらに似ていることから『梅鉢御陵』と総称される、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵と聖徳太子御廟をはじめ、それらを含めた『王陵の谷』とも呼ばれる飛鳥時代の天皇や皇族、有力豪族が葬られたと考えられる多くの古墳が群集しています。

太子町の観光マップ↓
https://taishi-kankou.jp/guide/pdf/kankomap_omote2101.pdf

その他に聖徳太子御廟を守護するために建立された叡福寺や聖徳太子の乳母を祀る西方院など、数多くの歴史資源があります。今回、町民の皆さんはもとより、観光などで来訪される皆さんのために、町の玄関口(上ノ太子駅)にモニュメントとなる銅像を建立し、聖徳太子のことをもっと身近に感じ、知っていただきたいと考えています。

また観光の一助、まちの活性化としての役割を担いつつ、次の100年にバトンを繋げられるようなものを作り、これを核に様々な事業・イベントを計画して元気なまちづくりに邁進したいと思っています。
銅像の完成予定図

大きさは約1.8m、台座を含め、約3mの銅像を予定しています。
旧一万円札と新一万円札の【縁】を感じます

今から約100年前の大正時代、聖徳太子没後1300年事業が盛大に催されたそうです。当時、この事業に尽力された人の中には、次の新一万円札の「顔」となる実業家の渋沢栄一翁の名前もあったそうです。しかしながら、今私たち実行委員会の中には著名な者や有名な実業家は一人もいません。ですが、太子町