沢山の方に支えて頂いた「五島うどん・王道庵」を再度復活させたい!!

沢山の方に支えて頂いた「五島うどん・王道庵」を再度復活させたい!!
うどん店と移動販売車で幻の五島うどんを提供してきましたが、コロナの影響で売上9割減の大打撃!うどん店を2月末に不本意ながら一旦閉店しました。うどん店を再オープンしたい!皆さん、ご協力お願いします!今まで現地でしか食べられなかった「幻の五島うどん」を食べて、助けてください。数量限定販売です!

苦労しました。
《王道庵・思案橋店》

思案橋店拡張後店舗

自分の経験不足とリサーチ不足で銅座のお店は結果出せず赤字続きでホント苦労しました。

輪をかけて贈答品の会社は、瞬く間に売上が激減!もうコレしか無いと思ってるとこに狭い店では有りますが思案橋に物件が空いたのでそちらを借りて銅座のお店でダシをとって貰って、昼のギフトの仕事終わらせてから一人で営業を始めました。当初7人の立食いうどん屋で営業を始めました。今でこそ立飲み屋が至るととこに出来てますが、当時は立飲み屋さんも数件しか無く、しかも、長崎の方には立食いの習慣が無かったため、特に飲んだ帰りのお客さんが殆どだったのでお店に入って来るなり「立食いね〜?」「立ってまでも食わんで良か!」「立って食べるときつか〜」と出ていかれるお客さんが多かったです。

一年辛抱しましたがそんな事の繰り返しだったので、狭い店では有りますが思い切って椅子を置いての営業に切り替えました。また急な階段では有りますが倉庫にしていた2階も改装して団体が入れるようにしました。それと同時に、赤字続きだった銅座のお店を閉店して店長と二人で営業を始めました。

その頃はギフトの仕事もほぼ赤字だったので、思い入れはありましたが時代には勝てないと思って思い切って閉店し、うどん屋を専業とする事にしました。

開店から10年間は1日も休まず営業しました。

と言えば凄いね〜と言われますが、本音は支払いに追われ休みたくても休めない状態で毎日19時〜朝6時まで営業していました。営業時間中は毎日2回、暇な時間帯に店長にお店任せて歓楽街パトロールと言ってキャッチのお兄さんやおねえさん達に飴玉配って回ったり、寒い時期はホットコーヒーを奢ったりしておりました。また、喧嘩があると止めに入ったり、酔っ払いが道端に寝ていると交番に電話して財布を抜かれない様に警察の方が来るまで付いていたり。店の表に立って、出勤前の娘達には「飲み過ぎるなよ〜頑張って来いよ!」、帰りの娘達には「お疲れさん、気をつけて帰れよ!」など気さくにお声がけしておりました。勿論来店された事のあるお客さんにも「また寄って下さいね」とお声掛けをしておりました。

中には「ここのうどん屋さんは斬新やもんね!キャッチするうどん屋は初めてばい!(笑)」「大将に見つかったら食べて帰らんばやろう」などホント沢山の方に可愛がって貰いました。

そして、いつの間にか「思案橋の番人」と呼ばれるようになってました。(笑)この様な努力の甲斐あって、沢山の方々に来店頂き、店長と二人営業する様になって、翌年には繁盛店にする事ができました。

1階カウンター7席と2階カウンター4席、6人掛けのボックス席1テーブルの狭いお店に最高で180名入れた事もあります。近年では出張族の方々の口コミで、「【長崎に来たら「王道庵」の五島うどん】を食べて帰らんば思案橋に行ったと言えんばい」って言われたと沢山の出張族の皆さんにご来店頂き、来た証にと記念に壁に名刺を貼って帰られるようになり、壁中幾重にも名刺が貼られてました。また、10周年記念イベントでは地元の若者達に取り持って貰いTV局のホールを貸切り、200名余りの方に九州管内から集まってお祝いして頂きました。ホントこの10周年記念イベントは私の財産です。この様な感じで王道庵は沢山の方に愛され、支持されたお陰で18年も続けて来れたと心より感謝しております。

10周年イベント集合写真

お客様が貼ってくださった名刺の数々
《王道庵・中州オープン時》

勿論、まだまだ続けるつもりで居ました