種の良い種でも良い大地で育ち水や光を程よく与えられなければ美味しい野菜にはなりません。人間で言えば良い土(愛ある家庭)であるし水やお日様(良縁・環境)を与えられる事で本来生まれ持った才能は開花されるのです!もちろん、幼少期の辛い体験を雑草魂として這い上がられた方も沢山いてますがそれでもからなず良縁(水・日光)と人生の節目に出会っているはずです!
だからこそ良心塾は辛い経験で自尊心を失ってしまった若者に今まで出会ったことの無い大人やかっこいい生き方をしている大人との出会いで、自分を成長に導いてくれる学びの場や時間を過ごすといった「今までとは違う体験や経験」をすること事で「辛い経験」を心の片隅へと追いやり、より良い人生を引き寄せられると確信しております。まさに、新しい友や師との出会いを通じて、物事の優先順位が変わったおかげで、まっとうな人生を歩めている私のように。
*****【背景】*****
● 「見放さなかった」母が私を変えた
少年の頃から人の道を外れ、暴走や窃盗、傷害を繰り返していた私は、更生するどころか19歳でヤクザの世界に足を踏み入れ、薬物にも手を出し完全に自分を見失っていました。21歳で足を洗ってカタギになってからも反社会的な考えや行動は変わらずに生きてきました。28歳で子供ができ建設業を友人と経営しそして32歳で美容院をオープンしたものの、法を犯していないだけで、「自分のことしか考えない」本質的な人間性は何も変わっていなかったと思います。
そんな私が変わらずにはいられない出来事がおきます。女手ひとつで私を育ててくれ、どんな時も私の味方であり良き理解者であった母が59歳で急死した(2006年)のです。少し肺の呼吸難で検査入院していた 病院から「急に意識不明になった」という連絡を受け、何が何か分からず急いで駆けつけたものの母の意識は本当に全くなく手を取って泣き叫び、己の今までの過ちや親不孝を詫びても、うんともすんとも言わない母は、そのまま目を覚す事なく2日後に他界しました。
以来、どれだけ後悔の念に苛まれたかわかりません。10代前半の頃から20年以上もの間、母からの愛の言葉にいらつき何度も罵声を浴びせ、身勝手な欲望をぶつけてきたにもかかわらず、変わらぬ愛情を注ぎ続けてくれたオカン。私がどれだけ悪さをしても見放さず、法廷で「悪いのは自分です」と私を責めなかった母……。おかんが70〜80歳になったときに親孝行をしたらええやろ、と軽く考えていたことを悔やむとともに、「ありがとう」といった感謝の言葉を母に一度も伝えたことがない分自身に愕然とし、自責の念が湧き上がってきたのです。
母の死後、食事が喉を通らなくなったせいで、1ヶ月で体重が7kg低下するほど、私は憔悴していました。傷害事件を起こして逮捕され面会に来てくれた母のさびしそうな顔やいつも気ままに実家に帰った時でも温かく迎え入れ愛情たっぷりのご飯を作ってくれたり、貧乏の中でも自転車やグローブを買ってくれたり病気で寝込んだ時は大好きな漫画を全巻買ってくれたりの思い出がよみがえるたびに、涙が溢れてくるのです 。しかしこんな僕でも無性の愛で育ててくれた、母が今の私の姿を見たら絶対に悲しむだろうし、過去を悔やみ続けたところで、母が戻ってくることは絶対にありません。ならば、天国で母親と再会したときに、「あんた、がんばったな」と褒めてもらえるような生き方をしよう。そう心に誓い今までとは違う命の使い方をすると心に決めました。しかし今まで自己中心的に生きてきた私は、具体的にどう変わっていいか、わか