した。
その後も夏はソウル(1998年)や大阪(1999年)、冬は朱鞠内でワークショップを積み重ね、植民地主義が生んださまざまな痛みと向き合い、未来について語りあってきました。
2001年の夏には、アイヌや台湾など、参加者の枠が広がったことをうけ、日韓に焦点が絞られていた問題意識の幅を東アジアに拡大し、「東アジア共同ワークショップ」と名称を変更し、再度朱鞠内共同墓地裏の発掘を行い、2体の遺骨を掘りおこしました。
その後もワークショップは北海道の猿払や浅茅野など、朝鮮人強制労働があった現場で途切れることなく続けられ、多くの遺骨を掘りおこしてきました。冬のワークショップでは日本学校と朝鮮学校の高校生たちが出会いと学びを続けています。
また、私たちは遺骨の発掘とともに犠牲者の遺族を探し、遺骨を故郷の朝鮮半島にお返しする活動を続けてきました。
日本の敗戦から70年目の2015年、ついに「70年ぶりの里帰り」として115体の遺骨が故郷の韓国に奉還されることになりました。
2015年9月、北海道北部の浜頓別を出発した遺骨奉還団は、朱鞠内をはじめ、北海道各地で発掘された遺骨115体とともに、約70年前、朝鮮半島から連行されてきた道を逆にたどり、東京・京都・大阪・広島・山口で追悼法要を行なったのち、関釜フェリーで故郷の韓国へとお連れすることになりました。
奉還団は釜山やソウルで追悼式・葬儀などを行なったあと、ソウル市が提供した納骨堂に遺骨を安置し、ついに「70年ぶりの里帰り」を果たすことになりました。
このように私たちは、過去の侵略戦争、そして現在も続く植民地主義に向き合いながら、日本・韓国・在日韓国/朝鮮人・アイヌ・台湾など、多くの若者や市民が協力しあい、東アジアの未来をより良いものにすべく活動を行なってきました。
「旧光顕寺・笹の墓標展示館」は惜しくも雪の重みにより倒壊してしまいましたが、私たちが40年をかけて築いてきた東アジア市民たちとの友情は、さらに強いものになりました。
日本社会は今日に至っても戦時下の歴史が残した課題を解決できず、近年は「徴用工」問題をはじめ、強制労働の歴史を否定する論調が目立ち、露骨なヘイトや差別が横行するようになりました。
私たちは、再び過ちを繰り返そうとする動きに抗し、今こそ東アジアの未来に希望の種をまくため、倒壊した「笹の墓標展示館」の再生を呼びかけます。
あなたのお力をいただけるならきっと素晴らしい展示館が再建されるでしょう。
ご支援を心からお願いするとともに、あなたもぜひ自然豊かな朱鞠内にお出かけください。
<All-in方式の場合>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。