朝鮮人強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」を再建したい

朝鮮人強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」を再建したい
2019年2月、北海道朱鞠内において戦時下強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」が積もった雪の重みにより倒壊しました。私たちは、死者の追悼、歴史の展示のみならず、日本・韓国・在日韓国/朝鮮人はじめ東アジアの若者たちの交流の場となってきた展示館の再建を目指しています。

土の中に忘れさられていた遺骨を発掘し、その犠牲の痛みや悲しみを共に「体験」することで、歴史の真実を学びました。

次第に「日・韓・在日」というような自らが作っていた、国家や民族の視えない壁を、歴史と向き合う中で、「あなた」と「わたし」というように、個々の関係として築いていきました。

その想いは東アジアへと広がり、台湾の若者たちも参加するようになりました。

「また朱鞠内で会おう!」

そう約束し、今は各々が、あらゆる国や地域で、朱鞠内で体験した歴史の真実と向き合っています。

ワークショップで出会い結婚し、親子で参加するようになった若者もいます。

その全てのはじまりが「旧光顕寺・笹の墓標展示館」でした。

犠牲者のご遺骨が巡りあわせてくれたご縁です。

今はまだ、日韓や日朝、東アジアにおける過去の植民地問題は解決に至っていません。

むしろ解決があるものでもなく、歴史と向き合い、市民が交流を続けることで克服していかなければならない問題です。

だからこそ私たちは、東アジアの和解と平和の取組みが維持・継続されるよう、「旧光顕寺・笹の墓標展示館」 を再生し、市民たちによる交流を途切れることなく続けていきたいと思っています。

私たちは展示館の再生に向けて、2019年7月に「笹の墓標展示館再生・和解と平和の森を創る」実行委員会を発足しました。

名称の通り私たちは、展示館を再建築するとともに、展示館が所有する敷地内に和解と平和の森を創造しようとしています。

展示館の周辺には「記憶・継承の碑」、「平和の踏み石」、「願いの像」などの追悼碑が立ち並んでいます。

また、五右衛門風呂「シュマリの湯」や、ツリーハウス「くまげら荘」、カヌーなど、ワークショップの参加者たちが作った自然を満喫できるアイテムが揃っています。

私たちはこの場を、歴史と向き合う場でありながら、訪れる人々が雄大な自然に触れ心を休め、あらたな活力を得られるような場に創りたいと思っています。

おひとりでも、こどもと一緒でも、どなたでも訪れていただき、命の大切さ、自然の大切さを感じていただきたいです!

私たちが「笹の墓標展示館」の再生に向けて掲げた募金目標は3,000万円です。

2020年1月から宗教者・教員・芸術家・ジャーナリスト・平和活動家など250人を超える呼びかけ人(2021年5月現在) と共に、支援募金を開始しました。

2021年5月現在、よびかけ人をはじめ、多くの有志などから2,000万円を超える支援募金が寄せられています。

クラウドファンディングでは、手数料も考慮させていただき、1,200万円のゴールを目指しています。

また、今回みなさんに呼びかけることによって、目標を達成すると共に、多くの方々に私たちの活動を知っていただく機会にしたいと思っています。

下にさらに詳しく、私たちの活動とこの地域の歴史についてまとめています。

ぜひお読みください!

笹の墓標展示館として利用してきた旧光顕寺は、今から87年前の1934年に建立されました。
その翌年、1935年からは雨竜ダム建設の資材輸送のために、名寄⇔朱鞠内間を走る名雨線(旧深名線)の鉄道工事が始まりました。工事には多くの日本人タコ部屋労働者が従事させられました。

その後、1937年から始まった雨竜ダム工事には、朝鮮半島から強制連行された労働者が従事させられました。1942年の統計上の移入朝鮮人数は3000人にのぼるとされます。

鉄道工事・ダム工事は過酷をきわめ、犠牲になった労働者は工事現場に程近い光顕寺に運