ました。
チームの敗戦を応援席で見つめ、涙を堪えながら仲間を励ましに行ったあの瞬間は自分の無力さに押し潰されそうでした。
2年時にトップチームを共に戦った友人は当時の試合に出場していたのですが、その彼を励ましに行った時に言われた言葉、
『もったいない怪我ばっかすんなよ、お前なんで出てねんだよ。』
少し泣きながら、でも、泣くのを抑えて少し笑いながら言われたこの言葉に僕は
『悪い、ごめん。』
としか言えませんでした。
選手権が終わりしばらく経ち怪我は癒えて、卒業を迎えるまで一般受験組などが少しずつ活動から離れていく中、僕は残されたリーグ戦などに全力で挑みました。
高校最後のリーグ戦時 中央13番
そして高校卒業後、当時関東大学サッカーリーグ2部に所属していた東京国際大学に入学をします。
しかし、すでに身体の傷は癒えていましたが、心の傷は自分が思っていたものより深いものでした。
当時の僕は、
このままサッカーを本気で続ける気があるのか。
またサッカー部へ入部してレギュラー勝ち取れる実力があるのか。
怪我と自分の未熟さ、甘さによって終わった高校サッカーで目の当たりにした負のイメージ、そこから夢を失い将来への不安を抱え自分に疑問を持ってしまった僕は、
自分から、サッカーから逃げてしまい、サッカー部へ入部をしませんでした。
しかし、この挫折が
“本当の自分”
を見つけるきっかけとなりました。
路頭に迷った僕は、大学2年時にアメリカへ約10ヶ月留学をしました。
プログラムの一環でアメリカの世界遺産を巡った際の一枚
景色や壮大さに自分の悩んでいることも小さく思えました。
そこで僕が出会ったのは、
自分のやりたいことを黙々とやり続ける現地の学生や現地でサッカーを通して出会った友人達でした。
夢に対して真っ向から挑み夢に必要なことに対して1つずつ取り組んでいる姿。そして何より、楽しそうになんの疑いもなく自分のやりたいと決めたことに対して突き進んでいる。
そんな日常を当たり前かのように毎日過ごしてる姿を目の前にした僕は、とんでもない衝撃を覚えました。
現地で出会った友人の1人。
サッカーはプレーしていませんでしたが、ご飯に一緒に行ったり遊びに行ったり大切な繋がりができました。
ジャンルは違えど、夢は夢。
迷っている、ただ不安の渦の中生きている時間がもったいない。
自分にしっかり向き合って、素直になり勇気を出して前に進んでみないと何が起こるかわからない。
そんなことを感じさせてくれた日常のおかげで、僕はもう一度自分の夢を追いかけようと決意することができました。
そこから僕は、現地で出会った人々とプレーをし
“サッカーを夢として追いかけること”
サッカーというスポーツの素晴らしさを再認識することと同時に、
“人種の違う人々とプレーすることで分かち合える喜び”
を知ることができました。
現地の大学で開かれた大会に仲間と参加した際の写真。
なんの公式戦でもない試合でしたが間違いなく僕のこれからにとって大事な瞬間でした。
留学を終え帰国をした僕は、社会人チームのさいたまSCに入団をしました。2シーズンプレーをしましたが、夏にチームを退団し、その年の冬に都リーグ2部に所属するHBO東京に入団をしました。
都リーグ戦時 前列中央
このチームは、海外への斡旋を主軸としながら都リーグを戦い、選手の準備のサポートやコンディション調整をし、海外へ送り出すという独自のスタイルを持ったチームで、自分に合っていると思い