はじめに
新型コロナウイルスにより身体、精神共に大変辛い思いをされている方々に心よりお見舞い申し上げます。1日も早く終息を迎える事を祈っております。
ご挨拶
はじめまして。京都府の北部にある『京丹後市』に住んでいます。田中洋年(ひろとし)です。
年齢は52歳で、織物を織りながらオリーブ栽培をしている【大善株式会社】の5代目代表です。
京丹後市は織物の産地でその中でも『丹後ちりめん』が有名です。
オリーブ園は私の父・4代目代表・田中治(おさむ)が家業である織物事業の将来を見通し、景気の落ち込みや海外へ仕事が流れるなど、このままでは経営が厳しくなると危機感を感じ織物業とは全く異なるジャンルの農業へと道を決めました。
私たちの住んでいる「京丹後市」は恵まれたことに自然が多く水は綺麗で美味しいお米や野菜が獲れます。さらに日本海側に面しているので魚・カニ・カキなどの漁業も盛んです。そんな自然溢れる「京丹後市」で父は誰も手をだしていないオリーブに目をつけました。
なぜオリーブなのか?私はわかりませんでした。
父は「国内の”油”の自給率は数%で日本で食糧難が起こった時に手に入らなくなる。未来の子供たちには自分と同じ思いをさせない」と戦後の食料難の経験からオリーブ栽培を始めました。正直、油の自給率など考えたことはなかったので聞いたときは衝撃でした。
2020年。新型コロナウイルスの感染拡大で海外と遮断せざるおえない状況もありました。こんなことは誰もが想像できなかったでしょう。私もそうです。その時に父のこの言葉の意味がやっとわかりました。今後も何が起こるかわからない時代に生きていくのに不可欠なものを育てていきたいと感じました。
そして父は2005年に地を整え、苗を植え、草を刈り、肥料をやり続け何度も失敗しながら15年の月日をかけやっとオリーブオイルが搾れるまできました。オリーブ栽培地では珍しく雪が降る地域で育つオリーブを是非。
このプロジェクトで実現したいこと
『京丹後市』初めての大善オリーブを一つでも多くの方に味わってもらいたい。
プロジェクトをやろうと思った理由
昨年、オリーブを手掛けた父が82歳で亡くなりました。常にオリーブのことを気にかけ、用事がなくてもオリーブ畑へ足を運んでいました。私はそんな父の姿を見て現在、オリーブの栽培を引き継いでいます。夏は40度近くの猛暑の中草刈り・肥料をやり、冬には大雪で枝が折れないよう雪下ろし、想像以上の肉体労働。正直もうやりたくなくなるほどきついです。しかし父は一言も弱音を吐かず、タオルを首に巻きどこか楽しそうに畑へ向かう姿が忘れられません。父は自分のためではなく未来のだれかのためにオリーブオイルを届けたいという想いがあり、毎日汗水垂らしやってきたんだなとわかり私はこの想いをカタチにしないといけないと思い今回このプロジェクトを決めました。
これまでの活動
2005年。300本の苗を植え付け。
オリーブの実の種類は1,000以上もあると言われています。ちなみにオリーブの実はどうやってできるかご存知でしょうか?実は木の花粉を受粉して実ができます。ただし、同じ種類の木同士では受粉しません。なのでオリーブを栽培する際には2種類以上の木を植えないと実ができないと言われています。
わたしたちのオリーブ園では4種類の木を植えています。比較的に京丹後市の気候でも育てやすく、なおかつオイルに向いている種類の木を厳選していますのでご紹介します。
①ルッカ
耐寒性があり、耐病性にも優れています。小豆島では多く