かった。コロナ禍で店がなくなってしまうなんてことは絶対にイヤだったんです。めちゃくちゃな日々で忙しかったけれど、それでも僕は興奮していました。
▲ピースをしているのがハサンさん
しかし、その生活が一ヶ月も続いた頃。僕は肉体的にも精神的にも壊れてしまいました。うつになり、6年間も店長としてお世話になっていたガラムマサラを僕は辞めました。
思えば、ビリヤニを作れなくなったことで僕はうつになりました。数ヶ月は廃人のように家で過ごしてました。人と会いたくないし、人の顔を見たくない。
夏が来た頃、生活のために仕事をしなくてはと思い、出前アプリの配達員の仕事を始めました。人に会わなくていい仕事だろうと選んだもののすぐにクビになりました。飲食店と揉めて、クビになってしまったんです。
前から薄々は感じていましたが、改めて「あー、僕ってビリヤニを取ったら、何も残らない人間なんだ……」と突きつけられました。
そんな中、2020年12月、飼っている犬のマロンが癌になりました。しかし働いていなかったため、手術代を用意することができませんでした。コロナは少し落ち着いていた時期だったこともあり、「マロンチャリティービリヤニ」を行いました。
久しぶりにビリヤニを作ることで、周りのみんなから手術代を集めたんです。ビリヤニ作りを再開したものの、ビリヤニだけで生計を立てていけるとは考えていませんでした。趣味でのビリヤニ作りは、続けられたら続けていこうと思っていました。
一般企業に就職しようと考えましたが、友人たちに止められました。
「ビリヤニは諦めちゃダメ!」
「大澤さんのビリヤニを作る才能を世の中のために使わず、就職してしまうなんてもったいない!」
「ビリヤニをやれって天から言われてるんじゃないですか?」
そう言われて、自分の中にあった「最高のビリヤニで、人を喜ばせたい」という気持ちに、だんだん向き合えるようになっていきました。コロナ禍とうつの期間を経て、僕はようやく「ビリヤニのお店をやろう」と腹を括ることができました。
僕の理想とするビリヤニは、通常のインド料理店のように来たお客さんを順番に迎え入れる業態では、絶対にできません。炊き立てだけを食べてほしいんです。大鍋で大量調理するので、お客さんには同時に来てもらう必要があります。
だから、ビリヤニ大澤は予約制です。
そして、メニューは「ビリヤニ」一品のみです。
ドリンクはコカ・コーラのみ。お酒も含め様々なペアリングを試しましたが、コカ・コーラより僕のビリヤニに合う飲み物は、まだ見つかっていません。
世にいろんな食べ物がある中で、なぜ僕はビリヤニ一品しかない、めんどくさい店をやるのか。
ビリヤニは、肉とスパイスの炊き込みご飯です。米が主食の日本人にとって、カレーライスよりも馴染みやすいものだと考えています。11年前に「ビリヤニを国民食に」と唱えだした20歳のとき、これから確実にビリヤニが日本で普及すると思っていました。その思いは今も、変わっていません。
そして、「これはビリヤニにするのが一番美味しく食べられる」と思うからこそ、僕はビリヤニを作っています。そうでなければ、他の料理にしたほうがいい。わざわざ変なものを作らなくていい。そう自分を戒めて、僕は自分のビリヤニのレシピを開発してきました。
過去、ありとあらゆる種類のビリヤニを作ってきましたが、ビリヤニ大澤のバリエーションは5種類のみ、通常は骨付きマトンのビリヤニだけです。一日に何種類もやるつもりはありません。ビリヤニは工程と要素が多岐