はじめまして。このたび東京・神田に「ビリヤニ大澤」をオープンすることになりました、大澤孝将(おおさわたかまさ)です。
僕は、人生をビリヤニに懸けてきました。
というか、ビリヤニに懸けざるを得ませんでした。コロナ禍でビリヤニを作れなくなって、うつになって無職になり、生活費を稼ぐためにやむを得ず始めた某出前アプリの配達員をクビになり…、やっと気づいたんです。自分にはビリヤニしかないんだと。
「ビリヤニのお店をやろう」
2021年の頭に、やっと僕はそう思えました。少し長くなりますが、ここに辿り着くまでの話をさせてください。
2009年、僕は初めてインドに行きました。初めてビリヤニを食べたあの日のことは、今も忘れられません。元々、炊き込みご飯や炒飯など味付けご飯が大好きだったからこそ、ビリヤニにドハマリしました。
南インドのタミル・ナードゥ州のビリヤニは、日本では目にすることのない形の大きな鍋で、一度に大量に調理されていて、炊き立てホヤホヤをバサッと皿に盛って振る舞われます。下ゆでしない生の米から一気に仕上げる調理法ならではのジューシーさで、一日4食は食べることができました。
▲写真はバングラデシュ・ダッカで訪れたビリヤニ専門店。初めて食べたタミルナドゥ州と同じく生米式のビリヤニ
そこからインドにいる間、毎日毎日、毎食毎食、ビリヤニを食べていました。街ゆく人に美味しいビリヤニの店を聞いては食べに行きました。日本に戻ってきて、翌2月にはビリヤニパーティを開催。友人や知人、カレー好きを集めて、パーティを開き続ける日々が始まりました。
2012年には、ビリヤニパーティを開催させてもらっていた経堂のインド料理店「ガラムマサラ」で働き始めました。同年3月からは、今で言う「間借り店」として、ビリヤニ専門店「ビリヤニマサラ」をやらせてもらい、2014年には店長になりました。
2012年12月に「ビリヤニを作るためのシェアハウスやろう」と一軒家を借りて「ビリヤニハウス」を始めました。これはお店ではなく、あくまで友人たちにビリヤニを振る舞うための場所でした。
そこからこれまで、僕はビリヤニを日々、作り続けてきました。今思えば、ビリヤニハウスを作ってからの時間は順風満帆でした。その回数はこれまでに300回以上。ビリヤニは煮込みから炊き上げまで、3時間半以上かかります。ビリヤニを炊く日は、一日がかりでビリヤニと向き合うんです。
最初は一部の友人たちが集まるだけでした。
コツコツとビリヤニを作り続けていたら物好きが集まるようになり、
次第に人気がでて、イベントを公開したら一瞬で埋まるようになりました。
僕は好きなだけ材料費をかけてビリヤニを追求でき、サービスを求めずただ美味しいビリヤニを食べたいだけの人が来る。そこにはとても良い関係性が出来上がっていました。2020年1月には、ビリヤニハウスに来てくれた方は過去最多の月273人でした。
でも、去年、コロナ禍が来ました。
2020年は、壮絶な毎日でした。まず、それまでは毎週ビリヤニを作っていたのに、コロナ禍で突然「人が集まるのは密だからやってはいけない」と言われ、ビリヤニを作れなくなってしまいました。
さらに3月以降、人々は飲食店から離れていき、ガラムマサラの売上も半分以下になりました。スタッフの給料を確保するため、テイクアウトを始めたり冷凍カレーを通販したり、店舗の維持運営に奔走しました。
オーナーのハサンさんは、僕の親代わりです。たくさんお世話になりました。とにかくガラムマサラを守りた