いると思いました。
こんな自分にご協力頂き本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします!
【東 優作氏】
*プロフィール*
〇静岡県藤枝市在住
〇SHAKA2(シャカシャカ)
「YUSAKU」として活動
☆ Pianoforte・編曲担当☆
絶対音感の持ち主!
バンドを掛け持ちするなど、Pianoforte・編曲家として多方面に渡り活躍中。
一度聴いた楽曲に魔法をかけるように、素早く曲の情景を読み取り世界観を広げていくさまは、まるで「音の魔術師」のよう。
そのセンスの良さに惚れ込まない人はいない、静岡のmusic sceneに欠かせない人。
~YUSAKUさんに向けて~
【TAKUYA1stオリジナルCD制作プロジェクト】に関わって頂き心から感謝申し上げます。
そして、CD制作収録にあたり編曲をして下さいまして本当にありがとうございます。
自分は、YUSAKUさんの編曲中、何度も鳥肌が立ち、自分の中で何かが弾けたような衝撃を受けました。
本当に素晴らしい音楽家だと思いました!
そして、レコーディングの最中に覗かせる相手を思いやる優しさと包容力は、YUSAKUさんの一番の魅力だと思いました。
こんな自分にお力を貸して下さり本当にありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。
ここでは、音源制作にお力添えいただいたお二人をご紹介させていただきました。
「一期一会」の数知れない出逢いのなかで、ご縁からご縁を結んで下さった方、そしてプロジェクトにお力添えいただいています皆様、本当にありがとうございます。
お一人々ご紹介したいところではありますが、ここでは控えさせていただきます。
【8】最後に
~僕の歌うことのはじまり~
僕が歌う意味
「歌うことのはじまり」の話しをします。
これは祖母の話し抜きでは語れないので、祖母への感謝の意を込めてお話させて下さい。
僕がまだ1才だった頃、同居していた祖母が脳内出血で倒れ手術で右脳の前頭葉をほぼ摘出しました。
生命こそ助かったものの全身麻痺が残り、診断書には植物状態と書かれていたそうです。
母の強い要望で祖母は自宅介護になり家に戻って来ました。
寝たきりになった祖母は、喉の切開と流動食を摂る為の胃ろうとオシッコをとる尿管と、身体には生命維持の為の複数の管が繋がれていました。
顔はこわばり無表情で一日中宙を見ている状態でした。
僕が小学校に上ると、母は「これからはおばあちゃんの部屋で宿題をやってね!」と言って、丸くて小さなちゃぶ台を祖母のベットの横に置きました。
それからは、祖母との関わりも増えた僕は、学校から帰って来ると祖母の部屋にランドセルを置き、祖母と一緒に過ごす時間も増えていきました。
祖母は相変わらず無表情でしたが、祖母の横で過ごしてると、なぜか僕のことも分かっているし喜んでくれてる気がしました。
学校から帰って来ては祖母の顔を覗き込み、毎日の様に氷川きよしさんの「箱根八里の半次郎」の「やだねったら、やだね」の下りから調子良く歌ったのを覚えています。
祖母にしてみたら、毎日毎日「やだねったら、やだね」を聴かされ、たまったものではなかったかもしれません(笑)
しかし祖母に毎日歌い聴かせるようになってしばらくすると、歌う僕を目で追い祖母は笑うようになりました。
このやり取りは当分の間は、二人の秘密になります(笑)が
何ヵ月かしてその場面に居合わせた母も、訪問介護職員さんも本当にびっくりしていたのを良く