京大のタテカン文化を取り戻したい

京大のタテカン文化を取り戻したい
京大周辺の文化的景観の一部だった学生・教職員・地域住民の立看板(タテカン)が、京都市屋外広告物条例を理由に全面的に禁じられました。京大のタテカン文化を取り戻すために裁判を闘います。

、特に厳しい基準によって審査されなくてはならない」という見解が示されています。こうした観点からも、純然な言論活動であるタテカンと市街地の商業広告を同列に制限する京都市の規制行政の在り方には大きな疑問を抱かざるを得ません。

 もとより、安全性への配慮は必要です。今後は組合以外の方々とも協力しながら、設置場所や固定の仕方など安全性を確保したタテカン文化の再興を講じるべきだと考えています。

③ パブリック・スペースとしての京大タテカン
 タテカンは、戦後日本の大学が生み出した独自の表現形式です。それは、地域住民と大学構成員の入り交じり合うパスブリック・スペースの一部であり、ふと足を止めることのできる大学の「縁側」でもあります。京都大学の「基本理念」は「開かれた大学として、日本および地域の社会との連携を強めるとともに、自由と調和に基づく知を社会に伝える」と謳っていますが、すべてのタテカンを撤去したキャンパスは外部の者を拒絶する「城砦」のようです。タテカンの一方的撤去は日本国憲法に定める「表現の自由」の抑圧である点において、「学問の自由」「言論の自由」を抑圧する近年の傾向とも通底しています。「トップダウンのガバナンス」により隅々まで管理統制された空間に新たな発見や文化創造のエネルギーが育まれるとは思えません。

④ 京都市と京大が責任を押し付けあい、もう裁判しかない
 職員組合は、2018年5月のタテカン撤去以後、京都市に出向いたり何度も問合せをし、京都大学法人とも団体交渉を重ねてきました。しかし、京大法人は「条例に定められているからしかたない」と述べ、京都市は「京都大学に任せているので関知していない」と、お互いに責任を押しつけあうばかりです。わたしたちは、こうした膠着状態の突破口を開くためには裁判を起こすしかないと決意しました。京都大学の構成員はもとより、今日の大学のあり方や「表現の自由」に関心を持つすべての市民のみなさんにこの裁判闘争を戦い抜くための経済的な支援を呼びかけます。
応援メッセージ(あいうえお順)

亀石 倫子さん(弁護士)
京都大学のタテカンが「景観」を理由に撤去された。
でも京都の人たちにとって京大のタテカンはずっと昔から見慣れた「景観」だ。
そして同時に、京大生たちのさまざまな「表現」でもある。
彼らが自由に表現することほど尊いものはない。
京大らしい自由とおおらかさを取り戻してほしい。

佐藤 友子さん(キッチンハリーナ/立て看文化を愛する市民の会)

職場との朝夕の往復に、百万遍で自転車を止め、石垣の立看を眺めるのが私の日課でした。春は新入生歓迎、秋は11月祭、近所の保育園バザーの案内など色とりどり。若者ならではの意表を突く表現に親しみを感じていました。立看は共同作業。計画から設置まで、皆でワイワイと制作している風景まで彷彿とさせるものばかりです。商業的看板とは全く違った手作り感や雑多な感じが何とも魅力的です。ある日立看たちは強制撤去されました。この石垣に看板を立てかけることはまかりならんという京都市のお達しに大学側も同調したのです。それでも、抗議の新しい看板は毎日立てかけられ、その端から撤去されていきました。権力を持つ側の暴力性に私は傷つきました。雑多な表現を認めない社会は、そこに暮らす私でさえも息苦しくさせてしまいます。親しんでいた立看たちが、なぜ、いつから、排除される対象になってしまったのかを私は知りたいと思います。

田所 大輔(京都大学 大学院生)

 構内の綺麗化が進み時計台前のクスノキも泣いている。クスノキの根