はじめに・ご挨拶
はじめまして!若しくはお久しぶりです!
岡山県は倉敷市出身の西田康孝と申します。
姫路のアパレルクリエーター Rottanさんの衣装コーディネート
私は倉敷市に生まれ倉敷市で育ちました。(中学校と高校は現在倉敷市に合併された真備町で育っています。
幼少期
10代まではどちらかと言うと引っ込み思案で、自分から前に出る性格ではありませんでしたが、20歳を越えて音楽活動を始め、レゲエのDJとしてジャマイカに三度渡り数々のミュージシャンとセッションしたり、数々のフェスやクラブなどでプレイさせてもらったり、自身でも沢山のイベントを主催させてもらいました。
DJ時代
30歳までには何か手に職をと思い、居酒屋で修行させてもらい、30歳で倉敷の一等地にリバイバーと言う名前で飲食店を構えさせてもらい、6年間オーナーシェフとして務めさせてもらいました。
オムライスと私
35歳の時に身体の衰えを少しずつ感じ始めたスポーツにハマり、夜の飲食店をやめる決意を固めました
その後、色々経験を積む為に色々な働き方をしていますが、40歳になった現在、節目を感じております。
何事も節目と言うものはございますが、20歳で音楽、30歳で飲食店、そして40になった今もチャレンジする事を大事にしたいと思い、以前から好きでハマってた珈琲焙煎に手を出しました。
数年前にスポーツの師匠が目の前で手網珈琲焙煎を見せてくれて珈琲ってこんな感じで焙煎出来るのだと知り、私も手網を購入し焙煎していました
手網
やはり手網焙煎では限界があると思い、手回しの焙煎機を購入
岡山県で製造されている銅製の焙煎機
1kg焙煎機ですが、焙煎のロジックを学び、技術向上に繋がりました
しかし
もっと安定した焙煎を!
より沢山の人に届けたい
生業で食べて行けれるシステム作りを
クオリティをもっと高めたい
と思い、より大きな焙煎機を欲するようになりました。
ハマ珈琲さん
実際に大阪のハマ珈琲さんの所へ2度伺い、色々お話を聞かせていただきました
ハマ珈琲の濱さんは元自衛隊である日珈琲に目覚め、焙煎機まで作るようになった凄いお方で、YouTubeなどで絶えず発信されています
お店が作られる背景
お店を構える総社市は私が生まれた倉敷市と旧真備町(現在は倉敷)の中間にあります。
総社市役所
片岡市長が色々と取り組みをしてるお陰で総社市は大変盛り上がっております。
災害支援への迅速な対応、パン屋さんの普及、子育て支援など、人々のニーズに応え街づくりをされています。
スポーツでも地域を盛り上げていく取り組みをされていて、マラソン大会、そして自転車でもこれから取り組みをしていくらしいです。
私がやってるスポーツはスカイランニングと言うヨーロッパ発祥の山岳競技で、して街の中心から最高点まで誰が速く駆け登れるか競う競技なのですが、チームメンバーも総社市在住も多く、総社付近の山域を活動山域として日本スカイランニング協会の公式加盟チームとして登録しているので主将である私も総社市へ移る事になりました
Photo by Sho Fujimaki®️
倉敷在住時に仲良くさせてもらってた友人が総社市でスケートパークを経営していますが、内部がとても広く有効活用出来ないかと思っていました
espace park
友人でオーナーでもある神崎さんに相談すると快諾
焙煎所をここでやりたいと言う気持ちとマッチングして先が見えました
しかしながら、飲食店として使っていなかったので、色々手をかける必要があります
・大型焙煎機の設置
現在の焙煎機では供給に問題あり。
小型の焙煎機だと迫力に欠ける。
・水場の設置
どんな仕事をしても、水を使う。元々工場で、現在はスケートパークの為、トイレでしか水が出ないので、シンクがきちんとある洗い場を設置したいと思います。
そのためには配管を手繰り、回してくることが重要です。
換気扇の設置
焙煎機から出る煙を外に排出する換気扇の設置をしたいと思っています
課題は沢山ありますが、今後焙煎所だけでなく、ドリンクのテイクアウトをできるお店としても出来るように動いていきたいと思います。
私たちの商品・お店のこだわり
音楽活動をしていた時の世界観、料理経験があるからこその表現力、スポーツやってるからこそのエネルギー、これらを自分やしさとして表現したいです
一昨年、岡山の大手古着屋グループPlywoodグループで立ち上げた「American Diner Plywood」で働いてた時も自家焙煎珈琲の提供をさせてもらっていましたが、その時に出会った豆が衝撃的かつ自分の好みでした
その豆はエチオピアのモカ イルガチェフ