障がい者雇用率100%の会社を設立し、世の中の常識を変えたい!

を持っているのだから、できないなら他の人よりも努力をするべきだ。そうしないと社会人になっても会社をクビになる。」

当時の私は失敗ばかりしていて、結果が出ていなかった上、職場の人たちからの同調圧力をかけられて何も言い返せませんでした。

「どうして、障がいを持っているから努力しなければならないのか。それは障がいをハンデであると決めつけているのではないのか。」

障がい者という烙印を押されてしまったと自分の中にのしかかりました。それを言うことができずに、バイト先から帰ってきて、家で大泣きしたことをよく覚えています。

この経験から、私は「こうあるべき」という固定概念や、本当の自分や感情を表に出すことが許されない社会的抑圧があることに気付きました。

自分らしく生きていたくても、それを許さない社会が原因で「生きづらさ」が蔓延している社会の問題を感じて、私はこの大きな社会問題に立ち向かうことを決めました。
障がいという名前のレッテルを武器に変えるということ。

では、どうやって大きな社会問題に立ち向かうのか。その時、思い浮かんだのは、法律上、私に貼られている「障がい者」というレッテルでした。

私は障がいを否定的に捉えていた中学時代、“生きづらさ“を抱えていました。しかし、障がいというレッテルを表に出して、受け入れることができたから、私は普通でも特別でもなく、「私」でいいんだ、と気付くことができました。

だから私は、レッテルを貼られていても、それを剥がして“その人らしさ“認め合うことで価値が生まれることの根拠を示すために、同じレッテルを貼られている自分がそれを証明することができると仮説を持ちます。

そう思った大学生の私は障がい者支援の会社に就職、様々な職域で自らの才能を生かす障がいのある社員に出会いました。そこで私が見たのは、自らの感性や個性を生かして絵を描き、それが仕事として価値を生み出す働き方の現場でした。また、私自身も聴覚障がいを持っているからこそ、幼少期から相手の声ではなく、細かい口の動き、顔の表情を読み取りながらコミュニケーションを取ってきました。これは、社会人となり、営業をするようになっても、商談先で”声によるコミュニケーション”ではなく、むしろ相手の細かい表情を読み取るようなコミュニケーションで相手と会話をすることにより、声には現れないような細かい気遣いを行うことで営業の仕事を全うすることができました。

この経験を通して私は、障がいという名前の弱さを持ちながらも、それを個性と認め、弱さを強みに変えて発揮することで、大きな価値が生まれることを確信します。

「弱さも個性と捉え、その個性を最大限に発揮することが社会に価値を生み出すことができることを証明したい。」

これが私の提案する弱さを強みに変えることで“生きづらさ“を解消するひとつの方法であると考えました。

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しかし、私が思い描く方法で、お互いに個性を認め合うことの大切さを伝えるためには、私一人の小さな声では、社会全体に届けることができません。私一人ではなく、会社という組織を設立し、その会社の中で、社員全員が各々の個性を生かして、補完し合いながら価値を生み出す組織を作ることができれば、大きな声として社会に発信できるのではないか。

だから私は独立して、障がい者雇用率を100%にした会社を立ち上げたい!と思い立ったのです。

しかし、ここで「お金」という大きな壁に立ち塞がりました。

自分の最低限の生活を維持するためには、収