僕を育ててくれた、じいちゃん、ばあちゃんに贈る映画を作りたい!

僕を育ててくれた、じいちゃん、ばあちゃんに贈る映画を作りたい!
僕の祖父母に贈る短編映画プロジェクト祖父母の二人に育てられた僕は、いま映画監督として活動しています二人が元気な今、二人に贈る映画を作りたいと思いました


僕を育ててくれた、じいちゃん ばあちゃんに贈る
短編映画プロジェクト

<あいさつ>

初めまして、映画監督のササハラハヤトです。
数あるプロジェクトのなかから、このページを見てくださり、ありがとうございます。

僕は、幼少期から高校を卒業するまで、ずっと祖父母に育てられてきました。
二人は、僕を「4人目の息子」と言ってくれていました。

3年前、地元を舞台に映画を撮ることになった僕に、二人は「これがハヤトを応援できる最後かもしれない。全力で応援する」と言って、映画プロジェクトをずっと応援してくれました。(制作映画『ふたりの空』)

この動画は、その際に二人にインタビューをしたものです。

そんな二人が元気な間に、僕は二人に贈る映画を撮ることにしました。

僕が祖父母と暮らしてきた記憶のなかで、最も悲しく、最も苦しく、だけど自分が最も成長できた、そんな記憶です。

ーーー以下、企画書より抜粋ーーー

これは私の遠い記憶です。
私の家庭は複雑で、友だちは我が家の事情を聞くと、気まずそうにしていました。

そんななか、私の祖父母は常に笑顔で、家を守っていました。
今まで書いた脚本で最も苦しく、最も残酷だと感じています。
この企画期間、私は祖父母のことを日々考え、日々想いましたが
呼び戻したくない記憶と対峙しました。

「このまま書き終えてしまうと、祖父母は消えていなくなってしまうのではないか?」
そんな恐怖すらあったある時でした。

美術スタッフが「いろんな要因はどうでもいい、これは監督の記憶であり、監督の祖父母に贈る映画なんです」と1年前に書いた企画書を握りしめ私に伝えたのです。

そこで、ふと思ったのです。
映画がなんの目的で誕生し、なぜ命を宿すのか?
これは、他の誰でもない、私の祖父母に贈る映画だったのです。

準備稿の時点で見えていなかったこの映画の持つ定義を再確認することができました。

「祖父母と育った一人の孫が、二人ととも、ちゃんと生きていく映画を撮ろう」と。
海斗という少年が、周りの家庭と少し違い、家族のことで日々悩み、不幸な顔つきをしている。
そんな彼に、君は不幸じゃないと伝える映画を撮ろうと。

誰よりも私の成長を見届けた祖父母に、見てほしい景色は
あのとき、少年はきっと幸せだったんだということです。

さいごに、勝手ではございますが
私の記憶により誕生したこの小さな映画にご尽力いただいた関係各位の方々に感謝申し上げます。
<僕の記憶>

たしか、小学2、3年生くらいでした。
祖父母に育てられていた僕は、毎日祖父母と一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入り、一緒にテレビを見ていました。

しかし、その日は違いました。家に帰っても、ばあちゃんがいないのです。
僕は不思議そうに、じいちゃんに聞きました。「ばあちゃんは?」
するとじいちゃんは、真剣な表情で「入院した」と言いました。

子どもの僕にとって「入院」という言葉は、とてもショッキングで、2度とばあちゃんに会えないのではないかという恐怖を僕に与えました。

その日から、ばあちゃんが退院するまで、じいちゃんと僕の二人暮らしが始まったのです。
じいちゃんは、料理が上手だった訳ではないのですが、一生懸命ご飯を作ってくれました。
食卓には決まって「おじや」が並んでいました。
じいちゃんの唯一の得意料理でした。

曖昧な記憶ですが、あのころ、僕とじいちゃんは、慣れない洗濯をして、掃除