20歳の記念にオリジナルソング作成&アルバム発売でこれまでの世界を変えたい
はじめまして。
クラスメイトと分け隔てなく接するギャルのような
お正月の集まりでよく懐きよく笑う姪のような
貴方が思い描いた夢に生きる“ミミヒメ”と申します。
事務所に所属しないフリーランスのアイドルとして
大阪を中心にカバー曲でライブ活動を行ったり、
「こんな女の子が存在したらいいな」という願いを具現化するようにSNSにて自分の姿を晒しています。
いままでとこれから、夢と目標
わたしの夢は文化を構成する一部として生きていきいくことです。
その第一歩として、
ミミヒメはオリジナルソングそしてアルバムを制作し、
この手で大阪の音楽シーンを、今生きるこの世界をひっくり返します。
小学校6年間ジャズダンスとHIPHOPを習い、鏡に向かって踊ることに懸命でした。
ダンス4年目、発表会に向けて稽古に励むある日
先生に習った振りをただ真似するだけではなく
歌詞の意味もわからぬ洋楽のメロディから主人公を作り出し演じるように踊るという感覚を突如覚えました。
ランドセルを背負う何者でもない自分を忘れ、大人の女性になれたあの瞬間こそ、紛れもなくわたしの表現活動の始まりです。
中学生に上がり、進路の為にダンスから離れ部活動にのめり込もうとしましたが
同級生に馴染めず、親とも心離れてしまう日々
そんな孤独な心に寄り添ってくれたのはアイドルでした。
「逃げてもいいんだよ、今日は眠ろう」と肯定のメッセージを届けたり
ノイズミュージック鳴り響く中、豚の頭をフロアに投げたり
表現の持つ可能性は日々鬱屈と生きているわたしにとって大きな希望でした。
アイドルに焦がれ、アイドルになると誓い、部屋で1人踊り続けて夜を明かしました。
高校生になり、誓いを胸にオーディションを受験。
関西を拠点に活動するグループアイドルの立ち上げメンバーとして合格しました。
器用なことはできず、髪を振り乱し演じるように歌い踊ることだけがわたしの宿命でした。
結成10ヶ月で行ったワンマンライブでは500人ものお客さまにご来場いただきました。あの興奮と感動は今でも鮮明に覚えています。
しかし、夢を見る時間はそう長く続きませんでした。
アイドルになりちょうど1年が経つ頃、
顔で踊るとも評されていたわたしがライブで全く笑えず、ひきつった顔でステージに立ってしまいました。
そのライブを最後にグループを脱退。
わたしを愛してくれたお客さまにお礼も言えず心半ばでステージを去りました。
悶々としながらもステージとは距離を置き、アルバイトをしていた夏
母が脳梗塞に倒れました。
料理が好きでカフェを経営する母は
形は違えど好きなことを仕事にしている先輩として深く尊敬しています。
お見舞いに訪れた時、母に言われた忘れられない一言があります。
「好きなことして生きていってね」
わかりあえずぶつかった思春期もありましたが、夢を追いかけてほしいと後押しされたことは今のわたしの大きな原動力になっています。
体調も徐々に戻り、コロナ禍に抗うようにアコースティック編成でライブ活動を再開。
毎回信念を持ち、選曲から衣装・照明要望に至るまでこだわってマイクを握ってきました
ステージを通してバンドメンバーと出会い、
20歳の誕生日を迎えた翌日
初の主催イベントにバンド編成で出演、イベントは満員御礼となりました。
楽曲はカバーでありながらミミヒメとして再解釈したパフォーマンス、