さんの日常を追ったドキュメンタリー映画です・・・が・・・スクリーンの中の直志さんは、山で木を切り、自宅を再建。なんともチャーミングなお爺ちゃんなのです。またその直志さんを支える同じ町内会仲間の剛さんのダンディーなこと。
全国各地に、直志さんファン、剛さんファンが生まれました。
そんな全国各地のみなさんに、直志さん、剛さん、そして陸前高田の今をお伝えしたい。
直志さん、剛さんを知らない人にも、「東日本大震災後、こんなに力強く、実直に、そしてチャーミングに、復興を遂げた」二人の物語を知っていただき・・・そしてその話は、今もなお続く、陸前高田の今をやはりお伝えしたいのです。
そのための、トークショーオンライン配信の費用をご支援ください。
『先祖になる』と私のご縁
東日本大震災のあと、自営業の仕事がストップしてしまい途方にくれた私は、縁のあった宮城県登米市を拠点にしたボランティア団体のベースキャンプに参画することにしました。そこで津波被害の大きかった宮城県北部~岩手県の沿岸地域の様子を目の当たりにします。仙台の仲間から発信された情報を頼りに陸前高田へ足を運び、混沌とした状況の中で力強く生き抜こうとする大勢のみなさんと会い魂を揺さぶられるほどの衝撃を受けました。
東京から「被災地の現状を記録に残したい」と相談に訪れた池谷監督とボランティアベースキャンプで出会い、即座に陸前高田に行ってくれる様頼みます。監督と福居カメラマンが車中泊を続けながら陸前高田の様子を見聞きしている間、私も折りを見て陸前高田に通いました。
そうしたある日「地元で花見が行われるらしい」という情報を監督から聞き、ともにその花見の会場となった成田山金剛寺に行きます。そこで、今回の映画の主人公となった佐藤直志さんが「津波は来たけれども、それでも桜は咲く」と集まった町の人達に語りかける光景に出会いました。監督は「あの人に話を聞いて見る!」と言って、そこで別れます。
それから1年半経った2012年10月。監督から「映画が出来ました」と完成試写会のご案内をいただきました。あの花見の日から、監督が見た陸前高田の様子。直志さんのユーモラス溢れる生き様。剛さんの心打つ実直な生き様。東北の私達の魂の一番強いところが表現されている映画だと、感銘を受け、映画が始まってから終わるまでずっと泣きっぱなしでした。
そしてエンドロールに私の名前が!
「あなたがいなければこの映画は生まれなかったでしょう?」と池谷監督の言葉。
『先祖になる』は、私にとっても自分の子どものような大切な宝物になりました。
・・・前置きが長くなりました。
そういうわけで、私の子どものような大切な映画『先祖になる』を、池谷監督が陸前高田で上映する!
そして、トークショーを通して、主人公の直志さん、剛さんが、相変わらず陸前高田で活躍している様子を全国のみなさんにお届けしたい!という監督の熱い思いに感銘をうけ、2014・仙台自主上映会実行委員会改め、2021・登米と宮城と陸前高田と全国をつなぐ先祖になる上映会応援団(通称ととと応援団)として、池谷監督のサポートをします!
これまでの活動
2014・仙台自主上映会実行委員会 では、ドキュメンタリー映画『先祖になる』の仙台での上映会の宣伝や、自主上映会を実施してきました。
2013年3月に実現した櫻井薬局セントラルさまでのロードショーを大いに盛り上げ、その後、ムービックス利府さまでのロードショーに多くのみなさまに足をお運びいただきました。
その後、全国各地での自主上映が始まり