見た目では分からない風景の記憶。福島で撮ってきた写真を写真集として残したい!

見た目では分からない風景の記憶。福島で撮ってきた写真を写真集として残したい!
初めて福島の被災地を訪れたのは震災から5年後の2016年だった。一見、のどかな美しい風景だった。そこには大きな犠牲が存在しているということを忘れてはいけないと、改めて思った。見た目では分からない風景の記憶。そこから伝わる大切な何か。2016年から福島で撮ってきた写真を写真集として残したい、伝えたい。

ご挨拶

この度は私のプロジェクトページをご覧になって頂き誠にありがとうございます。
反町 潤と申します。

僕の作ろうとしている写真集を見てくださった人の何かの切っ掛けになってくれたら、そんな思いが高まり思い切ってクラウドファンディングに挑戦させて頂きました!

写真集タイトル:「can you see it ? ー 何が見える?そう問いかけられたんだ 」は南相馬市の、草原と化してしまった場所を歩いていた時、どこからともなく「何が見える?」そう問いかけられた気がした。空耳とも違う声で。聞き捨てならないことと思いタイトルとしました。
このプロジェクトへの思い、実現したいこと

思い立って福島に向かい撮ってきた数々の写真を見つめ直してみた。

たどり着いた一つの結論が・・・
写真集を作ること、残すこと、そして伝えていくこと。

一見「普通」の風景の写真に見えるけれど・・・
見た目だけでは分からないことが、そこにはたくさんあった。いや、ある。

目に見えるものから感じられる目に見えない大切な何か。
それはどこにでも存在する。私たちの身の回りすべてに。

東日本大震災もいつかは歴史上の出来事になってしまう。僕が子供の頃に授業で習った、第二次世界大戦や関東大震災のように。祖父が生前よく前橋大空襲の話をしていたものです。今ではその場所も児童公園として多くの家族の憩いの場となっています。

ものや情報が溢れ大切なものを見失いがちな世の中です。

自分の目の前の、人や地域や自然環境に目を配り変化に気づいてあげられる、例えばそんなきっかけに、この写真集がなってくれればと切に願います。

※この写真集の売り上げの一部は、福島の子供たちの為に有効活用させて頂きます。
その一環として「東日本大震災ふくしまこども寄附金」への寄附をさせて頂きます。

福島へ向かうようになった経緯を下記に書かせて頂きました。
ご一読頂けたら嬉しいです。
♪応援メッセージを頂きました♪

ありがとうございます!

思い立って福島へ向かった2016年

2016年、福島へ行ってみよう、そう決めたのは「夏の誰もいない海水浴場の写真を1枚撮りたい」そんな思いがふと脳裡をかすめたことです。たくさんの人たちのたくさんの思い出が生まれた場所で、これからだって思い出が生まれる場所。でも誰もいない海水浴場。行くならあえて場所を決めず、撮りたい写真のイメージも作らず、行き当たりばったりの場所で何を感じるだろう、感じたままにシャッターを切ろう、誤解を生んでしまう言葉かもしれませんが「よそ者」としてその場に立ちたい、そう決めました。私情や感情すら捨て去り、海や空、砂浜や鳥たちなどその場所と純粋に向き合いたかったのです。そして2016年7月30日に初めて福島県の被災地へ向かいました。最初に車を止めた場所は楢葉町。次に南相馬市。楢葉町からとりあえず北上してみようと国道6号線へ。一般車両が全く走っていない国道6号線、道路脇の所々に立つ警察官や警備員の姿、避難困難区域の崩れたままの店舗や家屋、道路の両脇に続くバリケード、放射線量を示す電光掲示板、そんな現実として受け止めきれない光景。右左折できないままおよそ50分ほど車を走らせようやく停車した場所はもう南相馬市だった。

(2020年8月 国道6号線 富岡町)

車を止めた場所はどこも避難困難区域ではないにもかかわらず、誰もいないという現実と目に見えない放射能の恐怖。車から降りることをためらいながら、それでも何枚か必死で撮りはしたものの、おめおめと群馬へと引き下がって