○はじめに・ご挨拶
「桃太郎話」は日本中の誰もが知っている物語です。
「身も心も健康な桃太郎というリーダーが、智恵を持った猿、仁徳をもった犬、勇気を持ったキジと力を合わせてチームで物事を成し遂げる」ということが書かれています。
この痛快なわかりやすいお話しは誰からも親しまれ、家族思いの愛郷心を持つ英雄として、日本人の心に勇気と希望を与えてきました。また、物語の中にはさまざまな教示が込められており、道徳教育・福祉・会社経営などにも通じると脚光を浴びている日本を代表する、いや世界に誇れるおとぎ話なのです。
(写真は江戸時代に描かれた桃太郎絵巻の一場面:小川護氏所蔵)
○なぜ「桃太郎話」が大月なのか。
1、大月から旧甲州街道を上野原に向かうと、猿橋宿・ 鳥沢宿 ・ 犬目宿 と桃太郎に従者の名前が続き、九鬼山・桃蔵山・鬼の杖・鬼の岩屋など「桃太郎話」にまつわる地名や史跡がある。
2、郷土の昔話として「大月桃太郎伝説」 <岩殿山の鬼退治> が残っている。
3、猿橋の桂川館では大正時代のはじめに 「桃太郎餅」が販売されていて、その包み紙には桃太郎の絵と「桃太郎、ここらで伴を連れにけん犬目、鳥沢、猿橋の宿」という歌が書かれているのです。これは現在確認ができる桃太郎をモチーフにした最古のお菓子と言われています。
4、昭和初期に出版された桃太郎の絵本には富士山をバックにした場面がたくさんあってその絵がまさに大月市上野原市から見た景色にそっくりなのです。
以上のことから、山梨県大月市は桃太郎伝説の発祥の地ということが連想されます。
○大月桃太郎伝説 <岩殿山の鬼退治> ・・・参考までにお読みください。
昔昔、岩殿山の西南にある九鬼山には十匹の鬼が棲んでいて、その中の一匹は赤鬼で他は青鬼でした。赤鬼は背丈も大きく力も強く暴れん坊だったので、遂に青鬼達から仲間はずれにされ、岩殿山に棲みついたが、やけになって乱暴を働き、里に出て女や子供をさらったり、牛馬を盗んで食べたりしたので、岩殿山の周りの村人達は、えらい困り、ひどく怖れていたそうです。
特に岩殿山の東北の村には、美人が多く時々鬼にさらわれた。困った村人は徳巌山に庵を建てて住んでいたえらいお坊さん「どうしてらよかんべえ」と相談したら、「家の周りに葛の根を掘って植えなさい」と言われたので、その通りにしたら年々葛の葉が茂り家々を隠したので、それからは娘達がさらわれることもなくなったので、この村を葛野と名付けたそうです。
さて岩殿山の東に百蔵山(桃倉山)という山があり、ここには桃の木が沢山生えていた。この山から特別大きな桃が一つ転がり落ちて葛野川に入り、流れ流れて下流の上野原の鶴島に流れていきました。
その鶴島には仲の良いおじいさんとおばあさんが住んでいて、お爺さんは山へ柴刈りにお婆さんが川で洗濯をしていると川上からどんぶりこどんぶりこと大きな桃が流れつきました。
「なんとでっかい桃だんベ」と拾い上げたお婆さん家へ持って帰り、お爺さんと一緒に食べようと割ったら、中から可愛い元気な赤ん坊が生まれてきたそうだ。
桃太郎と名付けられたその子どもは、強く逞しく成長し、岩殿山の鬼のことを聞き、ひとつ退治してやろうと、お婆さんにキビ団子をつくってもらって出かけました。
途中、犬目で犬を鳥沢で雉子を猿橋で猿を家来にし、きび団子を食べて元気をつけ大声で「岩殿山の赤鬼よ、これから桃太郎が貴様を退治に行くぞ」と叫んだら、昼寝をしていた鬼は目を覚まし、大いに怒って手にした石杖を二つに折り、声のした方へ投