島根県松江でお茶栽培を続け、子供達と共に茶工場を守っていきたい

島根県松江でお茶栽培を続け、子供達と共に茶工場を守っていきたい
島根・松江でお茶の栽培をしている錦峰園製茶場です。松江市で唯一の、小さな個人茶工場を持ち、農作業に励みながら、中1、小3、保育園年長の子供を育てています。令和3年7月に豪雨災害に遭い、茶畑は土砂崩れ、茶工場浸水によって機械が壊れてしまいました。松江産のお茶を守り続けて行く為、ご支援をお願い致します。

はじめに・ご挨拶

はじめまして。

プロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。

東西に長い島根県の東端、中海を望む松江市大井町で、

中1、小3、保育園年長の三人の子供を育てながら、老齢の父と共に、私が主となって

お茶を栽培、製造、直売している個人茶農家の三代目・野津稚茶登です。

[子供達と茶畑にて]

1965年(昭和40年)に初代野津茂登が創業。

山や畑を開墾し、少しずつお茶の木を植え、茶畑の栽培面積を広げ、

茶工場で製茶技術を磨いてきた二代目野津公男。

[今から34年前。二人用茶摘機械で茶摘み]

そして、三人姉妹の長女である私は、

小さな頃から農業の手伝いをして育ちました。

[今は、子供達が手伝いをしてくれています]

“何でもやってみろ”という父の教えの下、

小さい頃から畑の手伝いをしていた私は、

商業高校を卒業後、県外の短大で経営情報学を学んだ後に、

地元の事務・光学機器メーカーに就職。若い頃は会社勤めをしていました。

ある年のゴールデンウィーク、新茶シーズンに茶摘みを手伝った時の

懸命に働く両親の姿を見て、

「自分にしかできない仕事をするのって良いな」、

「作ったものをお客様に喜んでもらえたり、やりがいのある仕事だな」、

「自然の中で、風を感じながら作物を作るのって良いな」と感じて、就農を決めました。

「この仕事を繋げていきたい!」

「松江産のお茶を守り続けていきたい!」

「ちいさな自園茶工場を続けていきたい!」

そう思って20代から農業をしてきて、今は3人の子供を育てながら、日々奮闘中です。
私たちの住む松江市大井町

私達の住んでいる“大井町”は、島根の名水“大井の池”・”目無水”がある

きれいな水の湧き出る土地です。

[島根名水百選・大井の池を眺める子供たち]

四方を山に囲まれ、田園風景が広がっています。

[スクスクと稲が育っています]

茶畑からは中海が見え、遠くに大山を望むことができます。

〔この場所が一番好きで、お気に入りの場所〕

時間がゆったりと流れるような“大井町”は、

バスが1時間に1本だったり、時に不便な事もありますが、

子供達が、自然の中で遊びを工夫してのびのびと遊んでいる姿を見られる事は、

親としてとても嬉しい事だなぁと思います。

[コスモス等、野の花摘みに夢中]

[田植えが終わった頃。畑でイチゴの収穫(ご近所の)]
私たちの住む松江市とお茶の伝統

私達の住む松江は、

江戸時代の松江藩藩主“松平治郷”(不昧公)が茶人であったという歴史的な背景から、

お茶を飲む文化が発達しているのが特徴です。

島根県は文化的な側面から茶の消費量が多いものの、

県内の茶商で取り扱われている茶葉の多くは県外から購入されたものです。

お茶を飲む文化と、和菓子が発達してきたこの松江で、

松江産のお茶”は年々減り続けている現実。

「祖父や父が育ててきた茶畑を守り続けていきたい!」

大好きな、この松江で育った、渋みと旨みのある浅蒸しのお茶を作り続けながら、

三人の子供達を育てていきたいと思っています。

[雪が多く積もり、雪解けを待つ]

〔新茶シーズン前。寒冷紗を掛けてかぶせ茶栽培をする前に、落ち葉拾い〕
プロジェクトを立ち上げた背景

私達の作っている煎茶は、昔から”浅蒸し”の製造方法で、

今主流となっている”深蒸し”とは異なる、

“渋みがあって、後から旨みがジワ〜ッとくるような、

和菓子に合う、少々クセの強い、澄んだ黄緑色のお茶”だと