軍事クーデターによって、一晩で変貌してしまったミャンマーの市民を救いたい!

軍事クーデターによって、一晩で変貌してしまったミャンマーの市民を救いたい!
ミャンマー国軍は2021年2月1日、全土に非常事態を宣言し、国家の全権を掌握したと表明しました。 アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる政権を転覆したクーデター。平凡に暮らしていた市民の命が想像を絶する形で脅かされています。そのような状況を少しでも良くしようと、「フル・ムーン基金」を立ち上げました。

ght Out ” にて、Ralph Lauren・ラルフローレン社と国連UNHCR協会とのチャリティ・プロジェクトを企画し「ラルフローレン・チャリティベア」を販売しました。いずれも収益の全額を国連UNHCR協会を通じて、世界の難民支援に当てられています。2014年には、日本財団と‎ANA・全日空が企画する「青少年達へのスポーツ支援プロジェクト」で、私のデザインしたサッカーユニフォームが、イラワジ地域のミャンマーの子供達に贈られ、同年の日本財団の後援で実現した日本・ミャンマーの外交関係樹立60周年記念活動「YANMAR Diesel セレッソ大阪 VSミャンマーサッカー代表」のチャリティマッチのスポーツイベントでは、ユニフォームデザインも担当しました。

私が20年ぶりにミャンマーに帰国した際に、激しく厳しい社会環境下で生活するミャンマーの子供達を見て衝撃を受けました。その際に同行された TBS NEWS23 の記者団も、その現実を目の当たりにしました。

亡命したミャンマーへ自由に出入国できた環境を最大限に活用し、今後は日本とミャンマーを結ぶ、社会的な活動を実現させたいと思うようになりました。私にはその責任があるとも、考えるようになりました。

日本とミャンマー両国の精神を持ち、両国のダブル・アイデンティティを抱えて生きる私は、唯一の証明を慈善活動に見出したいと希望するようになりました。それは、日本とミャンマー両国の狭間で生きる、私が見つめた一つの志です。日本とミャンマーの更なる友好的な交流関係を築くため、新たな世代で築き上げる活動であればと思います。

我々の世代で両国の友情を更に深め、両国の新たな世代に引き継いで行けたらと考えています。ファッション業界に身を置く、自身の企画する活動だからこそ、「正装の外交支援でもなく、作業着での開発支援でもなく、普段着の活動支援 」を掲げて活動していきたいと思います。

ミャンマーで生活していた幼い頃、私が確か7歳の頃だったか、生家の庭から、敷地外に枝垂れる熟したマンゴーの実を、肩車して盗み取ろうとするストリートの子供たちを、二階のベランダから見ていました。それが発展途上国ミャンマーの現実でした。その後、私がどんな行動に移したかは、言葉多くなるので控えますが、その後、祖母には「鳥に食わせた」と私は嘘をつきました。私が記憶している内の初めての嘘でした。

幼い頃から他者に影響されず、自分の価値観と千里眼を持った成人になりたいと思っていました。それが、私の美学です。チャリティーや慈善活動は決して、長者や一部の階層だけの活動ではなく、意思あるものが、その思いを自由に行動に起こせる事柄であると考えています。デザイナーとして売り上げを伸ばすためだけが成功じゃないと思いますし、一人の成人として、行動しなければならない事があるとも思うようになりました。私たち、ひとりひとりが唯一無二の存在であるからこそ、個々の役割を十分に果たすべきだと理解しています。

ファッションデザイナーでありながら、20年ぶりの帰郷を果たした2013年から今日まで日本とミャンマー・両国の親善のため、官民の取り組みを軸とし、さまざまなプロジェクトや外交、事前活動を築きあげた実績と人脈によって、このような危機的状況下でも支援が必要な人のもとに必要なご支援をして行くことが可能となりました。だからこそ、いつの日かミャンマーの若者が再び人として喜び、人生を楽しめる日を目指して、子供達が置かれている生活環境の改善に、直接的に働きかける活動支援を行い、個々の自立