バサラについて
はじめましての方はバサラってなんなの?ですよね。大阪は堺という町で、4年間お昼の時間に「バサラ食堂」という名前で修行してまいりました。バサラのゆきと申します。ハンバーグと豚汁、創作アテなどが人気の、昼からでも飲めるお店でした。
しかし去年からのコロナ禍で、1年半厳しい現実と向き合うことになり、今年3月に休業の決断を。そこから今ちいさな新店、「バサラのアジト」を開業するために知恵を絞りまくっているところです。
そもそも
私はシングルマザーです。男ばっかり3人の子がおります。が、3番目の息子のとき、彼は少し奇形を持って産まれてきました。体も人より小さく、成長も遅い。摂食障害もありましたし、3歳までに3度の外科手術をしました。
いまはおかげさまで病院通いをすることもほとんどなく、みんなと同じ小学校に通えていますが、彼の持って産まれた奇形は今後もいつ何時再手術が必要になるかわからないもので、小さく産まれたこともあって発達遅延も指摘されている。でも事情があって養育費も無いシングルマザーとしては、しっかり働いて稼がなくてはいけない、けど、急に手術となって仕事場の方々に迷惑もかけられない、、、。
そうだ自分ひとりで責任をとれる仕事をしよう!
そう決めて、4年間お昼の飲食店を借りてがんばってきていたのです。
みんなの居場所・バサラ
バサラをスタートする前には3軒の飲食店で働いていました。
仕出しやお弁当がメインのお店、韓国料理店、バー、それぞれに学ぶところがたくさんあり、それを基にお昼のバサラをはじめて四年間。音楽が好きなこともあってミュージシャン仲間も集まってくれる場所になりました。
それからバサラで出逢ったたくさんの人もいます。わたしの作るご飯が好きと通ってくれる人。わたしと話すのが楽しみなんだと言ってくれる人。ひとりでご飯を食べるのはさみしいけど、ゆきさんがいるからさみしくない!って来てくれる人。
仕事がんばったあとの最高の癒し時間なんだって言ってくれる人。
コラボしましょう!ってイベントに呼んでくださるお店さんやイベンターさんたち。
書ききれないくらい、ほんとうにたくさんの方々に助けられ、繋がっていただいて、休業を報告した後も
「早くお店で会える日がきてほしいです!」
と言ってくださる方々。
ひとりじゃなかった
ひとりで責任をとれる仕事なんて言ってスタートしたけど、全然ひとりじゃなかった。むしろ、みんなが居てくれたからバサラがあったんだ。
しみました。何度か泣きました。
そして決心!
みんなの居場所をもう一度作ろう!
小さくてもいいから、みんなが笑顔になる場所を作ろう!そこはみんなのアジトになるんだ。バサラのアジトだ!
場所はあまり遠くにならない大阪/堺区で、一人で回せる小さな居酒屋をやりたい。
前途多難
決心したはいいけど、この1年半のコロナの打撃で実際わたしに資金なんてまったくありません。いま休業中ってことはつまり無職で、世間的な信用もまったくありません。 しかもシングルです。親も早くに他界、兄弟もなし、金銭的に頼れる身内は皆無。
どないすんねんこれ、、、
そんなとき、知り合いが
「クラファンも考えてみてもいいと思うよ?」って背中を押してくれたんですよね。
とにかくいつもひとりで抱え込む性格、人に支援してもらうっていう考えがまったくありませんでした。クラファンやってみよう、そう思えることすら、やはり誰かに押してもらって辿り着いた最後の光でした。
バサラのアジトはみんなのアジトだ