0年の1月、突然思い立って、長年勤めていた仕事を辞めました。将来の展望があったわけではありません。ただ、このままでは自分が続かないような、切実な気持ちになったからでした。
仕事を辞めたと同時に新型コロナが流行し始め、世の中は一変しました。
これまでも引きこもって絵を描くことが好きな私ではありましたが、コロナ禍の中で誰にも会わずに一人で絵を描くことに没頭することになりました。それは、自分自身にさらに集中して向き合うことでもありました。
ユング心理学では、個人の無意識は集合的無意識に繋がっているといいます。またトランスパーソナル心理学では、個人の意識を超えた“自己超越”が可能であるといいます。
自分の思考や想念を見つめることは、個人の無意識、そして集合的無意識まで遡り、ついには自己を超えた次元にまで到達できる可能性を秘めているのかもしれません。
コロナ禍がもたらしたこのような状況は、人間心理にとって新しい可能性を開花させる契機になり得るというポジティブな見方もできるのではないでしょうか。
「未来の記憶」につながるために
これまで私は、アストラル・アートを多くの人に見てもらうことは考えずにいました。私は洋画家・日本画家などの正統的な画家ではありませんし、アストラル・アートは誰にでも簡単に描ける鉛筆やペンで描いた、いたずら描きのような絵です。
でも、夢見の状態で描かれた心象風景には、おそらく、正統的な絵画の制作方法で順序立って描かれた絵にはない偶然性や夢のような意外性がより多く含まれていると思います。そしてそれは、意識下の自分に気づく鏡のようなものになり得るのではないでしょうか。半分無意識で自動書記状態で描かれた絵は、私がいつかどこかで見た個人的な記憶の中の風景かもしれません。けれども同時に、それは、私の潜在意識を超えて、さらに深い“集合的無意識”の記憶に蓄えられた「未来の記憶」なのかもしれないとも思うのです。
コロナ時代の今こそ、私のアストラル・アートを体感してもらうことは、多くの人が自分自身と向き合い、そして自己実現し、更には自己超越するためのヒントになり得るのではないかと思っています。
この展覧会が、多くの方にとってその機会になることを願います。
タイトルは「未来の記憶」です。
どうか応援をよろしくお願いします。
私の潜在意識を超えて、深い“集合的無意識”へ
それはいつかどこかで見た、記憶の中の景色――
集合的無意識に蓄えられた「未来の記憶」
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早川星太郎 プロフィール
1961年、東京生まれ。
中学生の頃より精神的なことへの探究心が湧き、瞑想などを始める。
1979年、17才のときに、古今東西の宗教のエッセンス を説き、その源は一つだと教えるインドのグルに共感して弟子になる。このころから日々の心象風景を描き始める。
1980年、盲目の画家で霊能者の伴野重寅先生に師事。
1980年冬、カリフォルニア州の国有森林内にて究極のエコ生活を送る。
1993年、アートグループ “Dead End Street”を結成。六本木、麻布、銀座、渋谷などで絵画やインスタレーションなどのグループ展を開催する。
1993年 4月 ダイダイ・エマニュエル・ギャラリー(六本木)
1994年 6月 ダイダイ・エマニュエル・ギャラリー(六本木)
1994年 9月 ナイトクラブ “b