商店街に残る、大正4年創業の元旅館「松千代館」を改修し、まちへ開いた場にしたい!

商店街に残る、大正4年創業の元旅館「松千代館」を改修し、まちへ開いた場にしたい!
「松千代館」は、愛知県瀬戸市の「せと末広町商店街」で最も古くから存在する元旅館です。空き家となった現在、解体の危機に瀕しています。再生に向けた有志のメンバーで、耐震補強や水回りの修繕などを行います。使いながら「松千代館」の未来を模索していくプロジェクトのための改修費用のご協力お願いいたします。

初めまして。
「松千代館再生の会」代表の鈴木芳枝(すずき・よしえ)です。
「松千代館」の大家である母の娘で、現在、東京のデザイン会社に勤務しグラフィックデザイナーとして働いています。大学卒業後からはずっと東京暮らしですが、「松千代館」松千代館は母が育った場所であり、私も幼い頃からよく遊びに行いった思い出深い場所です。遊びに行くと、いつも祖母が隅から隅まで雑巾掛けをしていて、床や柱が黒く光っていたのを覚えています。
けれど、現在、母は別の家に住んでおり、20年ほど前から空き家となっています。老朽化が進み一時は手放すことも検討し、実際に売りに出していました。けれど、本当は「自分が生まれた場所がなくなるのは苦しい。なんとかしたいな……」という母の想いを聞き、「松千代館」の再生に挑戦をすることにしました。

昭和初期の「松千代館」の様子

“せともの”の由来にもなるほど、昔から陶器産業が盛んな愛知県瀬戸市。その中心市街地にある「せと末広町商店街」にある、時が止まったような建物が「松千代館」です。
商店街の名前にもなっている末広町は、明治30(1897)年ごろに、曽祖父が7軒をもって、命名したといわれています。昭和2(1927)年の瀬戸の地図

「松千代館」のはじまりは、大正4(1915)年。曽祖父が当時の運搬手段であったに荷馬車を引く馬のひづめを直す「蹄鉄屋」を始めたことでした。

ところが、若くして亡くなってしまい、大正後期に曽祖母が増改築し、陶磁器の運搬業に関わる人々が利用する旅館として営業を開始しました。その後、祖母が旅館業を受け継いだものの流通の変化に伴い、旅館としての役割が減少。その間、祖父が事務所として利用したり、創業間もない企業に場所を貸すなど、さまざまな使い方をされてきました。けれど、1975年以降、私の母を含めた子供たちが独立し、長くお付き合いのある方が、年間で数名利用する程度になってしまいました。

そして、1998年以降は空き家へ。その時々で、商店街のイベントや古民家ギャラリーとして地域の方に活用していただきましたが、老朽化が進み難しくなってしまいました。

「松千代館」をどうしていくか。動き始めたのは、6年前に母が「松千代館」の相続をしたことからでした。
デザインという領域で仕事をしている私が、何か役に立てることがあるのではないか。そんなふうに考えていた時期に、東京で「地域とデザイン」について考えるワークショップに参加した際に、まちづくりの計画・設計をされている「オットー・デザイン」の大木 一さんと出会いました。

「松千代館」の話をすると、とても興味を持っていただき、愛知県岡崎市在住で「studio36一級建建築士事務所」のメンバーである深澤 創一さんをご紹介いただきました。すると、まずは「現状を把握しよう」ということになり、「愛知工業大学」の非常勤講師でもあった深澤さんが有志の学生さんとともに実測をしてくださいました。実測の風景ただ、その後、自身の妊娠・出産があり、一旦動くのは保留に。東京で働きながら子育てに追われるなか、自分ではなくても「良さを理解して使ってくる人を探すのも手かもしれない。」という考えに変わっていきました。それでも、頭にはどうにかしたいという想いがあり、しばらくは帰省のたびに地元の方と少しずつお会いして、人脈の開拓をするという時間を過ごしていました。

そのうちに母の体調の変化があり、管理が思うように行き届かなくなり、このまま放置すると解体しないといけないという物理的な問題も直面。急遽、売却を検討すること