コロナ禍での4期がん、二重苦と闘う葛城ユキ復活!のためご支援をお願い致します。

コロナ禍での4期がん、二重苦と闘う葛城ユキ復活!のためご支援をお願い致します。
コロナ禍の影響が色濃く資金繰りが厳しいなか、4期癌の宣告を受け闘病休業をやむなくされた葛城ユキ。自らが役員を務める個人事務所の運営が逼迫しています。安心して闘病に専念できるよう、闘病の果ての葛城ユキ復活!に向けて皆様のご支援をお願い致します。

【『葛城ユキの復活!を支援する会』からのご挨拶】

先ず初めに、新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔み申し上げますと共に、罹患された方々には心よりお見舞い申し上げます。

『葛城ユキさんの復活を心から、お祈りしています』

初めまして、私は「佐賀ライブハウスGEILS」オーナーそして「スピリッツ」のリーダー木原慶吾と申します。 ご存知下さる方もいらっしゃると思いますが、彼女とはこの四半世紀、九州方面でのツアーバンド「スピリッツ」のリーダーとして、公私共にお付き合いさせて戴いています。(※参考動画)
さて、ニュース等の報道で周知の様に、彼女は原発性腹膜がんの為に闘病中です…加えてコロナ禍で彼女の音楽活動を支える個人事務所の運営も儘ならない状況です。 そこで私は彼女自身からの要請を受け、彼女と共に「復活を支援する会」を立ち上げ、安心して治療に専念し闘病の果てにはスムーズに仕事復帰できるよう、彼女を愛する皆様にご支援をお願いする事と致しました。 コロナ禍で皆様も大変な状況とは思いますが、是非!葛城ユキ復活のためにお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

『葛城ユキの復活!を支援する会』発起人
サウンドスピリッツ 代表取締役 木原慶吾
※本プロジェクトは、葛城ユキ本人と「復活を支援する会」との共同実施となります。
【このプロジェクトで実現したいこと】

新型コロナの影響が色濃く残る中での闘病休業。音楽人として活動基盤も案じながらの闘病は尚一層厳しく、闘病の果ての仕事復帰の頃には活動基盤を失っている事も危惧されます。
元通りのパワフル&ハートフルな葛城ユキが、スムーズにミュージックシーンに返り咲けるよう支援する事だけがこのプロジェクトの唯一の目的です
【葛城ユキ・バイオグラフィー】

●1974年、「木曽は山の中」を歌い、第7回ポプコン全国大会で最優秀曲、第5回世界歌謡祭で審査員特別賞をそれぞれ獲得し、同年メジャーデビュー。
● 1980年、「哀しみのオーシャン」がヒットし、1stアルバム「寡黙」を発売。日本の音楽シーンにレディースロックの礎を築く。
● 1982年、スーパーロックバンドTOTOをミュージシャンに起用しL.A.録音を行った「L.A. SPIRITS」が音楽通の間で話題を集める。
● 1983年、7thアルバム「RUNNER」発売。収録曲「ボヘミアン」が大ヒットし、シングル・アルバム共にゴールドディスクを獲得。
● 1986年、中国広東省珠海市珍珠楽園で、邦人女性ロックシンガー初の中国公演。3日間で3万人を動員。
● 1990年6月、自らの活動基盤として個人事務所設立。
● 1992年、日中国交正常化20周年で、’86年と同じ会場で2度目の中国公演。3日間で3万5千人を動員。
● 1996年、松竹映画「必殺~主水死す~」エンディング曲「哀しみは花びらにのせて」の歌唱を担当。
● 2001年、24thアルバム「暗くなるまで待てない」発売。発売記念ツアーを東京厚生年金会館・愛知勤労会館・大阪厚生年金会館・八潮メセナ・熊谷会館・山梨県民ホールで開催。
● 2003年、テレビ番組収録中の事故で重篤なケガを負い、2ケ月間入院し治療に専念。
● 2010年、洋楽を中心とした自身初のカヴァーアルバム「Singer VOL.1」と、特典DVD付きライヴアルバム「LIVE2010」を発売。
● 2011年、東日本大震災に心痛し、4/28より石巻市をS中心に復興支援ボランティアライヴを開始し、2013年まで熱心に継続。

タイトルとURLをコピーしました