ていただくことに合わせ、芸術と人々の距離をぐっと近づけ結び付ける力を持つ松井画伯との接点を生み出すための場をより多くの方に届けること。
これを実現し、誰もがアートと仲良くなることで“経済”“教育”の世界に新たな想像力を生み出し、時代の流れにのまれることはなく、想像できることは全て現実にできるという実感を得ていただきたいと考えています。
※①VUCA(ブーカ)
V olatility(変動性)U ncertainty(不確実性)C omplexity(複雑性)A mbiguity(曖昧性)
この4つの言葉の頭文字からなる「予測が不能な状態」を示す言葉
プロジェクトをやろうと思った理由
圧倒的な個性を打ち出し続けたピカソ。
そのピカソに画家としての資質を認められ、ともに過ごす時の中で多くの学びを得ても同じ様なアートを生み出すことではありませんでした。
「お前は俺の様になれる。でも俺にはなるな。松井守男になれ。」
ピカソからのこの言葉を胸に、オリジナリティを生み出すために時間を費やし、「光の画家 松井 守男」という個性を作り上げ、フランスで政府より芸術文化勲章、レジオンドヌール勲章を受章し「フランスの至宝」と称されるまでになられています。
ここで一度、松井 守男画伯のこれまでの道のりをご紹介させてください。
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ホームページより抜粋
「光の画家 松井守男」さん
1942年、豊橋に生まれ武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業と同時に、フランス政府給費留学制度により渡仏。
パリを拠点に制作活動を始め、アカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校に学び、また ピカソと過ごす時間の中で大きな影響を受ける。
以後、サロン・ド・メ出品、個展開催、エールフランスの機内デザインなどの活動を展開。
1985年 2年半の歳月をかけ、これを描いて死ぬという覚悟、遺作とする決意で作品『遺言』を制作。
この作品によって細かなタッチを面相筆で大画面に重ねて描く画境を確立。
その西洋でも東洋でもない 全体とディテール・すべてから精神、生命、光を発する抽象画は 真のオリジナリティーとして現地で高い評価を得るに至る。
「光の画家 松井守男」誕生
1997年 名門フェッシュ美術館(コルシカ・アジャクシオ)で個展を開催し、これを機にコルシカ島に拠点を移し、以後地中海西部の豊かな自然をモティーフとした作品を手がける。
2000年 フランス政府より芸術文化勲章を受章
2003年 レジオンドヌール勲章を受章
2005年 「愛・地球博」 のフランス・ドイツ共同パビリオンの公式作家として参加。
2008年 日仏友好150周年記念展シャネル・ネクサス・ホール(東京・銀座)や長崎の大浦天主堂などの史跡で個展が開催され、スペイン・サラゴサ万博で再度フランス公式画家に選出され「フランスの至宝」 と称される。
2008年 長崎県五島列島の久賀島を訪れ、その自然の光と歴史に心打たれ、以来同地にもアトリエを構え「五島市ふるさと大使」となる。
2011年 東日本大震災後は 特に日本復興への祈りを込めて「HOPE JAPAN」、世界に誇るべき日本のエスプリを伝えようと「大和魂!」のシリーズを制作し、絵画世界の新たな次元に挑戦。
2018年 東京・神田明神の「神田明神文化交流館」(EDOCCO)にいくつも作品を奉納
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現在は、故郷である日本に恩返しをしたいと帰国された際