ゴルの塩は素材に馴染みやすく「味噌」や「柚子胡椒」などを作っている農家の方々に使っていただいていました。
しかし、5年ほど前に、取引をやめたいと言われる高齢の農家方がいらっしゃいました。
「後継ぎがいないし、農作業が大変でもう疲れてきたので、味噌づくりを続けられない・・・。」とポツリと言われ、何とも言えない寂しさを感じました。
日本は自然が豊かな国。モンゴルに比べたらとても恵まれている・・・。私はそう思い込んでいました。しかし改めて日本の里山に目を転じてみると・・・。
耕作放棄地、高齢化、事業継承、獣害・竹害、食品ロス、自然災害などなど・・・。「モンゴルの砂漠化も大変だけど、日本の里山もこのままでは維持できなくなってしまう・・・。」
(段々畑だった所、今や荒れ放題の耕作放棄地)
(豪雨のたびに繰り返される土砂崩れ)
そしてもう一つ。日本の里山の問題を意識し始めた頃、私は福岡市のど真ん中に住んでいました。その時子供が生まれたのですが、アレルギー体質、喘息、アトピーの一歩手前などちょっと心配な状態でした。
自分の子どもをもっと自然豊かな地でのびのび育てたい・・・。
日本の里山の問題と自分の子どもの問題を同時に解決するには・・・。そうだ、田舎に移住しよう!
バンベンのビジネスはネット環境があればどこでもできます。ただ何のツテもないのでどうしたものかと、思慮していたところ「地域おこし協力隊」という制度があることを知りました。
これだっ!妻が地域おこし協力隊で地域とのつながりを作り、私はバンベン事業の傍らその地域の里山再生に貢献できることを探す・・・。内モンゴルでの砂漠緑化事業は教え子たちに任せられるようになったので、しばらくは里山再生に注力できる。
モンゴルの砂漠化と日本の里山荒廃を同時に解決することを目指す!こうして2017年春「バンベン一家、田舎に移住計画」がスタートしました。
といってもそう簡単には行きません。妻は地域おこし協力隊の試験になかなか受かりませんでした。無理もありません。農業や地方創生など各分野のエキスパートや地域おこしをあちこちでやってきたツワモノたちと競わなければならないのですから・・・。
一度落ちて二度落ちて・・・、やっぱり無理かな、とあきらめかけていたところ、妻に合った要請を発見しました。それは地域おこし協力隊では珍しい子育て支援の分野。妻は子供向け料理教室などを手伝っていたこともあり、この分野だったら十分戦えそうです。果たして無事協力隊合格。そして赴任先は・・・?
佐賀県小城市でした!
(2017年8月:小城市の須賀神社前にて)
小城と言えば小城羊羹!九州の人ならだれでも知っている地名ですが、それだけしか知りませんでした(笑)。実際行ったことのない所。もちろん友人知人もいません。
こうして2017年9月バンベン一家「知らない町」でのゼロからの生活がスタートしました。
妻は地域おこし協力隊として小城でガッツリ仕事をしていました。
(2017年9月:妻初登庁の日)
私はまずは里山に入り込もうということで、耕作放棄地を整備するボランティア団体の活動に参加。梅林やオリーブ畑の管理・収穫など里山での経験を積んでいきました。
(オリーブ畑で草刈り)
(梅の剪定)
そして害獣による農業被害を防ぎたい。モンゴルの塩を使ってジビエ加工品を広めたいという想いから狩猟免許を取って害獣駆除に勤しんだりしてきました。2019年4月からは小城市の害獣駆除班に入って本格的に狩猟開始!といってもまだアライグマし