『一人でも多くの子供達に文房具を届けたい』
子供を笑顔にし少しでも親の負担を減らし、教育を受けれる子が増えてくれたら良いと思っています。
200人の子供達からの感謝
『文房具を寄付する意味』
私が文房具を届けることで根本的な教育の質が上がるわけではありません。貰った文房具を学校の授業以外で使用しているかもしれません。文房具を貰った子が将来学校を辞めないかも解りません。その子供達を一生面倒見れるわけでもありません。
しかし、文房具を配ることにより、貰った子供達は力一杯の笑顔になれます。寄付した私達に感謝の言葉を伝えます。親は「ありがとうと言いなさい」とその場で感謝を伝える大切さを教えます。人のやさしさに触れることにより他人にやさしく接することを覚えてくれるかもしれません。親の負担も少し減らせます。そして、その日寄付を受けた事を家族で楽しめます。
サンタロサの貧困街の子供達
申し送れました。私はCADDAT JAPAN代表の西野 祥成(にしの よしなり)と申します。
フィリピン滞在暦12年。革を使った鞄や財布等の小物作りを生業としています。
また、2019年よりフィリピンの貧困街に住む子供達に文房具を届ける活動をしており、主にラグーナ地方にあるサンタロサ市とサンペドロ市で活動をしています。NGO等の団体ではなく完全な個人での活動家です。文房具配りの手伝いをしてくれている現地のボランティアの方なんで寄付始めたの?
この活動をしていると、この質問をよく聞かれます。
サンタロサの貧困街の子供達
『フィリピンで1文無し、借金1200万円』
4年前私はフィリピンで事業に失敗し1文無しとなりました。それどころかフィリピン国内で1200万円の負債を抱えていました。事業が傾いた時に、今まで資金繰りでお金を借りていた全ての人が、私から回収をしようと追い詰められました。今まで私にあんなに『お前は凄い』と言っていた人達が、『私のお金をどうやって返すんだ』、『日本人はうそつきか?』と態度が変わりました。
仕事がない、収入がない自分は正直どうして良いか解らなかったのですが、そんな状況でも『お金は貸さないけど仕事させて上げる』、『また1から頑張りなさい』と数人の方から救いの手を差し伸べられました。
『事業の建て直しと弱者を救う教え』
私はこの時に2つの決め事を自分に言い聞かせました。逃げないと対話するでした。
3年間をかけ800万円の借金を返済しました。その頃にはお金が返せなくて追い詰め寄ってきていた人達が再度『日本人は凄い』、『事業資金また貸すよ』と言われたり、仕事を出してくれる様になった経験があります。
私はどん底にいた時の私に支援して頂けた数人の方々の言葉を忘れられません。
その人達はそろって『私に恩返しをしようと考えないで周りのさらに弱い者に少しでも支援をしなさい』と言い、実際に寄付をしていたり若者の育成に力を入れています。
『1人でも多くの子に文房具を届けたい理由』
2019年ラグーナ州サンペドロ市での初めての寄付
私は少しでも何かに恩返しをしようと考え、子供たちへ文房具を寄付することを始めました。
始めは慈善事業をしている団体を通して寄付をすることも考えていたのですが、どうせなら自分自身の手で直接子供達に配り、直に子供たちとふれあい皆を笑顔にする事にしました。
初めて寄付をした時の事は今も忘れられません。
日本から送ってもらった文房具をフィリピン・ラグーナ州サンペドロ市の貧困街で配った時に文房具を20人分しか用意して