甚句」にも出てくるこの「船場町」は、江戸時代11第将軍家斉の時代・文化10年(1813年)に酒田で最初に公許された遊郭です。
戦後は港湾地区の工場群にも近く、花柳界の中に在る小さな酒屋でした。当時は、工場帰りの工員が帰りに毎日「次郎長分店」に立ち寄ってぐい呑みするお酒を買って、今で言う酒屋での「角打ち・もっきり酒」を楽しんでいました。その当時「次郎長分店」の看板娘として「角打ち・もっきり酒」の客に店内でお酒を販売していたのが、私の母親になります。
時は過ぎ、平成の時代となり、規制緩和の波によりお酒販売が自由化されてスーパーやコンビニでも自由に販売出来るようになりました。その影響により昔からの町の酒屋は活気がなくなり廃れて行きます。
■町の酒屋の生き残り作戦・ケーキ屋に変身
時代の波と規制緩和の波に押されて、昔からの町の酒屋は廃れる一方であり、その起死回生策として取り組んだのが、母親が長年趣味で取り組んで来た家庭で出来るお菓子・ケーキ作りを本格的に取り組む事でした。最初は、酒屋のお店を改装してその一角でケーキ作りを始めました。
お店の改装当時は、「酒屋の中のケーキ屋さん」として珍しがられ、地元マスコミの取材を何回も受けました。平成18年に父親が亡くなった時点で酒の小売りを止め、「パウンド工房」母娘で作る家庭のお菓子をモットーに小さなケーキ屋として再出発し、現状に至ります。
■素材としての酒粕に挑戦
酒粕をケーキ&クッキーの素材として使ってみたいと考えた切っ掛けは、長年、町の酒屋としてお酒を販売してきたことにより、お酒の知識が豊富だったこと。また、地元の醸造元とのコミュニケーションも有り、酒蔵が身近な存在でもあったこと。昔から酒粕そのものを販売していた経緯もあり酒粕に親和性を感じていたこと。更に酒粕の持つ豊富な栄養のポテンシャルが高いということ発酵素材であることも含まれます。
今回は、地元の酒蔵でも昔より親しくして頂いていた、「清酒 清泉川」の醸造元株式会社オードヴィ庄内にお願いして、試作において数多くの貴重な酒粕を提供して頂きました。このコラボレーションがあって今回のケーキ&クッキーの製品作りが可能となりました。
今回の試作で苦労したことは、酒粕といっても普通種の酒粕・純米酒の酒粕・吟醸酒の酒粕とお酒の種類により酒粕が違うこと。また、使用するお米も数多くの酒米や食米からもお酒が造られます。それぞれに違う風味と味の酒粕が有り、どの酒粕がケーキ・クッキーとベストマッチングするのか解らずに試行錯誤を重ねました。
また、酒粕をどの位混ぜるとどのうに味が変化するのか、その適量はどの位なのか更に、酒粕の混ぜる量に対して焼き加減をどのように変化させるとベストなのかも繰り返し試作を重ねて確かめることが必要でした。このように試行錯誤を繰り返しながら徐々にベストな調合と焼き加減と熟成等を学んで行きました。
(清酒 清泉川の酒造元、オードヴィ庄内が販売している大吟醸の輔粕「酒田のうま味」)
■酒粕とは、日本酒などのもろみを圧搾した後に残る固形物です。
この酒粕は、女性や健康志向の強い方の間で「酒粕」が人気を集めています。料理に使うとコクが出たり旨みが増すなどの効果があり万能食材。美容や健康に更には化粧品にも使用されており「酒粕」の効能に注目が集まっています。
酒粕の成分は水分・炭水化物・蛋白質・脂質・灰分で構成しています。他にもペプチド・アミノ酸・ビタミン・酵母など豊富な栄養素が含まれており、質の良い食材としての価値が見直されています。
酒