。とても大切な話だけれど、安易に触れて欲しくない。この富岡町でも家族や親類を亡くした人がたくさんいる。映画を観終わって上映の了承をいただきましたが「ぼくたちの責任は重いな」と感じました。
■想像力という「能力」をもっと生かせられないものでしょうか?
□この「Picnic」の中で直接は言っていませんが、自然災害というカタストロフは人間の都合を無視して突然やって来ます。そしてカタストロフは液体的だと言うことです。つまり、どうしても「津波」に見えてしまう。近年の豪雨で大規模な土砂崩れが各地で起きました。広島県での出来事など、土砂が津波のように住宅街を襲いました。多くの命が失われるのが重大なのはもちろんですが、暮らしのための街や家が破壊されますから、これからの暮らしを再建するためには膨大な「お金」や「労力」や「心」を投入しなければなりません。本当に苦しいです。命は助かってもここでくじけてしまうかもしれません。
□このPicnicで自分たちの「想像力の無さ」と「無力感」を経験しました。離れた場所の出来事への想像力。難しいことですが自分自身の命を守るために必要な「能力」だと感じます。それは「危機察知能力」にも繋がります。例えば「危ないと思ったらすぐ逃げる」。新型コロナウイルスに気を取られている今、次のカタストロフ(もちろん地震だけてはありません)が必ずやって来ると思います。
■ぼくたちの心配。
例えば、南海トラフ地震が起きて、ある県の海岸の都市に20mの津波が来たとします。「今、そこに住む人々はどのくらい津波に対する想像力を持っているのか」と言うことです。
H24年、政府中央防災会議公表のデータではM9.1(東日本大震災はM9.0)の地震が起きると高知県黒潮町と土佐清水市で34m、静岡県下田市で33mの津波が来る可能性があるとしています。今のぼくたちでも想像を絶する高さです。
巨大地震はいつ来るかわかりません。でも、100%いつか必ず来ます。国や自治体は「地震」を「津波」を防ぐことはできません。現在、自分はどういう状況にいるのかを確かめること。その時、自分はどうするのかを考えること。つまり、津波の姿を想像できれば、自ずと生まれるものではないかと思います。「想像力」を持つこと。東日本大震災の時、岩手県のある沿岸部では以前の「津波の教訓」が子どもたちにまできちんと行き届いていました。学校でも避難訓練が浸透していました。ここには「想像力」が生きています。
防災にはお金が膨大にかかります。でも、命を守る避難はすぐにできます。想像力さえあれば。
■未来への「記憶」を一緒に作っていただけませんか?
□ぼくたち人間は大切なことをすぐに忘れてしまいます。しかも、新しく生まれる子供たちはその記憶すらありません。記憶を残すことはとても難しい。離れた場所の出来事への想像力を持つこと、これも難しい。
□このPicnicには地震津波に加え、新型コロナウイルスという新しい津波も描かれています。「どうすれば記憶に残るのか。どうすれば想像力を持てるのか。」難しい問題ですし、簡単ではありません。
でも、ぼくたちは「この映画の中の記憶」は必ず未来に役立つと信じています。この「記憶」を未来に残すために協力していただけないでしょうか。そして「みなさまのお名前を映画のエンドロールに加える」ことでお力をいただきたいのです。次のカタストロフと言われている「南海トラフ地震」が来る前に。このPicnicが次に来る「津波」に対する「思考の手引き」になってくれることを願って。
みなさまから