それで覚悟が決まり、思い立ちました。
「これはむしろ行けということだな」
「今この時期だからこそ行動しよう」
行動さえすればいくらでも選択肢は増えるのに、コロナを言い訳にして何も動かず、このままただ衰退していくのを待つのか?
ジャンプアップするために勇気を出して動くのか?
コロナというこの状況を逆にチャンスととらえ、私は後者を選びました。
【これまでの活動】
私はネイル歴23年のキャリアがあります。
今でこそネイルはその存在を認知され生活に浸透しましたが、20年以上前の昔は今よりもネイルサロンの敷居は高く、ネイルアートをしている人は今ほど多くはいませんでした。
しかしその時代から私はネイルアートで多くの人の幸せに貢献してきました。
世界の舞台で見た日本のネイルアーティスト
日本のネイルアートの先駆者である師匠に師事し、すべて手描きのオリジナルネイルアートにこだわりを持つネイルサロンで厳しく教育を受けた私は、1999年、初めて出場したアメリカのネイル世界大会でネイルアート部門3位に入賞しました。
↑表彰式の様子
↑1999年ロサンゼルスの世界大会会場で同門出場者とモデルさんと記念撮影
そして翌年2000年にアメリカで行われた同ネイル世界大会に再出場し、ネイルアート部門にてグランプリを獲得しました。
↑世界大会グランプリを獲得した時の作品「Cats in the forest」です。
海外のネイル世界大会という舞台に立ち、私はネイルアートが国を超え人の心にもたらすものの大きさを肌で実感しました。
爪先という小さな場所に全神経を集中してとても細かいハイクオリティなアートを描くこと。
なぜそこまでしてそんな小さな場所を彩ることにこだわりを持つのか。
ただ爪先に細かいデザインが描かれているだけではありません。
どんな時も、つらく苦しい時でも、鏡を通さず直に見て自分に元気を与えられるおしゃれがネイルです。
ネイルはどんな時でも自分の味方であり、自分を肯定するお守りです。
そのために、どんなテーマでもネイルアートに再現できる技術の引き出しとアドリブに対応できる力は、とても重要な要素です。
ネイル世界大会で実感したことは、世界の舞台で日本人ネイリストの技術力は随一だということです。
以来私は世界最高峰の日本のネイル技術に誇りを持ち、ネイルによって叶えられる夢と与えられる幸せに無限の可能性を確信しました。
ネイルの枠を超え様々なジャンルのアートを生み出す
その後独立しサロンをオープンしてからは、ネイルに留まらず、いろいろな分野でアートを描くお仕事に恵まれてきました。
↑キャラクター製品のデザインを任されました。
新日本プロレス所属プロレスラーである兄、永田裕志のリングコスチューム、オフィシャルTシャツのデザインも担当しました。
そのほかにもダーツアクセサリーデザインや、ジュエリーデザインなど
「人や物のイメージやポリシー、伝えたいメッセージなどをアートにして表現する」ということを、ネイルに留まらず長年にわたり手がけてきました。
人を幸せにするアートをアジアに、世界に発信する
2019年、私は再び世界の舞台に立ちました。
今度は、マレーシアで行われた「ミセスアジアシュプリームページェント」というミセスコンテストの世界大会に日本代表として出場し、栄えある世界大会グランプリを獲得しました。
(↓向かって一番左が私です)
私が大会でスピーチした内容の抜粋です。
「私は即興で何でも絵に描けるネイルアーティストです。この右手ひとつ