なりながら文章を打っていたのを今でも鮮明に覚えております。
現在も所属は水瀬ひとりな当事務所。
なのでもちろん始まりも水瀬ひとりでした。
私は「ころぼっくすぷろじぇくと」のコンセプト(テーマ)などを書き記した書類を持って、彼女に所属として一緒に事務所を始めてもらえないだろうか?とお話しました。とても、とても緊張しました。
言ってしまえばなんの基盤もない、無名の事務所を一緒にやって欲しいというわけで。
とんでもなく無謀な話を持ち掛けたわけで。それでも彼女のお返事は、YES。
なので私は、二度、水瀬に「え、本当にいいの?」と聞いています(笑)
しんどい1年のはじまり
今だからこそ、こういうことを言うと驚かれるのですが、設立した1年は本当に、本当に大変でした。
仕事関係ももちろんそうですが、二人しかいないということもあり、数々の衝突や密かなフラストレーションが溜まっていっていたのです。
それでも乗り越えられたのは、お世話になっている方からの言葉と、やはり水瀬自身が懸命に応えようと歩み寄ってくれたこと。
お互いに本当に頑固なので(笑)衝突するとLINEが大変なことになるのですが、最初こそ二人して意地張っていたなぁと思うことも多々ありますが、「自分も向こうも頑固者」と知っていたため、どこかで冷静な部分が残ってくれていて。
そしてなによりも二人とも納得いかないことは、納得いかないと言い合えたこと。
なるほど、そういう価値観なのだね?と思い合えたこと。
こういった積み重ねができたこと。
ぶっちゃけ心折れかけたこともあるのですが(笑)不思議と会って話すと「大丈夫だ」となれたのが水瀬真知という人でした。
声の仕事一本、事務所業一本になった二人と新たな仲間
お仕事もありがたい繋がりのおかげで徐々に軌道に乗り始めてきたころに、先に水瀬が完全に声の仕事一本になりました。
その時まだ私は事務所の運営にも不安があったり、自身の身の回りの整理もできていなかったので思い留まってしまっていたのですが、次第に体にも無理が出始めてきたこともきっかけに、思いきって事務所業一本にする決意をいたしました。
それが昨年の9月。
コロナ禍という中、まさに決死の覚悟でした。
それでもこうしてやってこられているのは、ひとえに水瀬の存在のおかげと周りの方々の支えのおかげです。
そんな中に飛び込んで来てくれたのが、提携となったヨッシ。
彼はダンサーという身でありながら、声の業界に身一つで入って来てくれました。
甘くない世界ということを、私は痛いほど知っております。実感しております。
「茨の道」であることの覚悟を、ヨッシは私に語ってくれました。
その想いに強く打たれ、一緒にやっていくことを私も私なりの覚悟を決めました。
これからの「ころぼっくすぷろじぇくと」
もう一人の提携である佐野江を含めても、まだたった4人のころぷろ。
まずはコロナの影響で延期になってしまっている所属発掘ワークショップオーディションを開催し、新たな仲間を迎えたい。
そのためにも、まずは多くの方に「ころぼっくすぷろじぇくと」を知っていただくこと。
この企画を成功させ、たくさんの出逢いに巡り合うこと。巡り合いたい。
そう強く願っております。
当プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターン品をお届けいたします。
ドラマCD「天つ風」の一部制作費に充てさせていただきます。
主にキャスト、制作スタッフの皆さまへのギャランティ(基本ギャランティへの上乗せ)
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