鳥羽なかまちで観光×WORK!空家をリノベして「人が集う」ワーケーション施設に

鳥羽なかまちで観光×WORK!空家をリノベして「人が集う」ワーケーション施設に
鳥羽の台所として昭和に賑わった「鳥羽なかまち」。地域全体が一体となって「おもてなし」を提供する「鳥羽なかまち」を目指し、今回のプロジェクトでは空家をリノベーションして「人が集う」ワーケーション施設づくりに挑戦!私たちの「まちづくり」を応援していただける方を募集します。


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鳥羽なかまちで観光×WORK!空家をリノベして「人が集う」ワーケーション施設に
6 ~ 8 分
はじめに・ご挨拶

近鉄中之郷(なかのごう)駅から徒歩3分。鳥羽3~4丁目、旧町名で中之郷、藤之郷、奥谷、赤崎の4町の伊勢神宮外宮末社の赤崎神社までの「鳥羽なかまち」エリア。

この「鳥羽なかまち」の活性化を願い設立されたのが私たち「鳥羽なかまち会」です。

まず、はじめに「鳥羽なかまち」のご紹介をさせていただきます。

明治から昭和にかけて造船所を中心に町工場が建ち並んでいた鳥羽なかまちエリアは「鳥羽の台所」とも呼ばれ、近所の人々の買い物を始め、中之郷桟橋から離島へ送る生活物資の調達場所として、とても賑わっていました。

魚屋、八百屋、花屋、お菓子屋など生活に必要な個人商店が軒を連ねて、豆腐屋、酒屋だけでも界隈に3~4軒も建ち並ぶ町だったそうです。

昭和30年代 鳥羽市鳥羽三丁目の様子 【鳥羽市観光課提供】

昭和の後半に入ると、町工場が市外に移転。マイカーの普及も進み、買い物客の流れは変化していきました。さらに鳥羽城址にあった小学校の移転も重なり、子どもたちの声も聞こえなくなっていきました。そのため、かつての賑わいが感じられなくなり、そして、時代の流れとともに空き家・空き店舗が目立つように。

鳥羽なかまちの取り壊される空き家の様子

そんな鳥羽なかまちを、「どうにかせ~へんといかんなぁ・・・」

と、そう思っていた矢先に転機を迎えます。2013年5月に「大庄屋かどや」がオープンします。

大庄屋かどや 外観の様子

江戸時代後期から鳥羽の大庄屋として、鳥羽城にも部屋が与えられていたという廣野家の住宅です。屋号を「かどや」といい、大正時代まで薬屋を営んでいました。2006年に国登録有形文化財に指定され、2011年から改修工事を開始、江戸時代のたたずまいが復元された施設です。

この廣野家の住宅を文化財として保存・継承するとともに、鳥羽で培われてきた伝統や文化を未来につなぐ情報交流の場とするため「大庄屋かどや」として一般開館されました。一般見学やギャラリー、演奏会の場として活用しています。

この大庄屋かどやをきっかけに坂田清佳さん、遠藤美和さん、濱口和美さんの3人の女性が中心となりまちの活性化を進めてきたのが「鳥羽なかまち会」です。

左:坂田清佳さん 真ん中:濱口和美さん 右:遠藤美和さん

鳥羽なかまち会議の様子

『鳥羽三丁目から四丁目にかけて、昭和の街並みを残す鳥羽なかまちの活性化を願い、会員はもとより観光客も、市民も、わくわくするような日常空間形成を目的とする!』そんなスローガンを掲げて2014年11月に活動スタートしました。

【なかまちの意味】

中町であり、仲間地であり、仲間知。途切れがちになってしまったご近所さんとの繋がりやお店同士の繋がりを再構築し、仲間作りの場として、まち全体を盛り上げていく。ゆくゆくは鳥羽市街地全体を繋げたいという想いが込められています。

【コンセプトとシンボルマーク】

昭和には、鳥羽の台所と呼ばれたことから『昭和な鳥羽の台所』。ロゴマークは『かまど』。店の軒先などに吊るされた『オレンジかまど』の吊り旗が目印です。

【鳥羽なかまち参考動画 鳥羽なかまちマーケット2019】

このプロジェクトで実現したいこと

「滞在しながら観光と仕事の両立」に取り組み、鳥羽なかまちに活気を取り戻したい。そんな壮大なビジョンを掲げて活動していくための第一歩として取り組んだのが「ギャザリング