はじめに・ご挨拶
初めまして! 閲覧ありがとうございます。今回人生初のクラウドファンディングに挑戦する中 秀彦(なか ひでひこ)と申します。社会福祉法人桃の木会で製造責任者をしております。
今回私は、去年まで生産していた『ダイナミックタレ』を復活させるプロジェクトに挑戦します!
『ダイナミックタレ』というと、和歌山県の方は覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか? 親子2代作り続けてきた『ダイナミックタレ』は、世帯あたりの牛肉消費量が全国でも有数に高い、ここ和歌山で長年おうち焼肉のお供としてご愛顧いただきました。「少し辛めで、お肉の味をひきたてる独特の味わい」「和歌山県の焼肉といえばダイナミック」「この味はもうソウルフード」と、嬉しいお声もたくさんいただいて参りました。
『ダイナミックタレ』をつくる父の背中を見て育った
私が去年まで作り続けてきた、『ダイナミックタレ』の話をさせてください。
『ダイナミックタレ』は、私の父が開発しました。お肉の甘みを引き立てるため、少し辛めに作ったそうです。製造時は、食欲をそそるニンニクの香りがあたりに漂っていたのを、子どものころから感じていました。創業当時は母が自宅で美容院を営んでいたこともあり、髪のカットに来るお客様に配慮して夜間に製造していたそうです。ときどき夜中に目が覚めると「お客様のために」とタレを作り続ける黙々とした父の背中と、ニンニクの香り。
そんな地道な積み重ねが実り「焼き肉のお供と言えば『ダイナミックタレ』」が浸透したころ、周囲から「大人になったら跡を継いで社長になるんだね」と言われるようになりました。私自身も、自然と「父の跡を継ぎ、守っていくんだなぁ」と考えていました。
そして、大学卒業後の3年間酒造会社で修行した後、父の会社に入社しました。
コロナ禍による倒産
創業から55年。半世紀以上、一子相伝で焼き肉のタレを作り続けてきました。ずっと、作り続けるつもりでした。しかし2020年8月、コロナ禍で取引が激減し倒産。長く地元・和歌山県と密着してきましたが、世の中の流れに乗ることができませんでした。
『ダイナミックタレ』を、守れなかった。
「一つの焼肉のタレがこの世から姿を消した」、それだけのことなのかもしれません。ですが私は、愛してくれる方がいるもの、受け継いできたものを後につないで行くことができませんでした。困り果て、悲しみに暮れ、立ち上がることもできなくなりました。
高校時代からの友人の励まし、仲間との出会い、再出発。
そんな私にも一緒になって悲しみ、「どうにかできないか」と立ち上がってくれる友がいました。有限会社丸三商店の赤井 康造です。私と彼は同級生で、高校入学から3年間同じクラス。もう40年の仲になります。
彼の家庭も地元で食品流通の会社を経営。すぐに馬が合い、自然と仲良くなりました。そして、私が家業を継ぐころ、同じように彼も家業を継ぎました。彼が継いだ有限会社丸三商店には、『ダイナミックタレ』の取り扱いがあり、切っても切れない公私の友です。
しかし、『ダイナミックタレ』の売上は年々右肩下がり。食品の流通に携わる赤井も、それを感じていたようです。なぜなら『ダイナミックタレ』の取り扱い店舗の大部分を占めていた、いわゆる『町のお肉屋さん』が年々減少。それに比例して『ダイナミックタレ』の取り扱いも減り、経営はどんどん悪化していきました。そしてコロナ禍による売上高激減がトドメの一手となり、ついに『ダイナミック食品株式会社』は倒産しました。
そんな中、赤井は『ダ