200年以上続割烹料亭をこれからの未来に繋ぐためのチャレンジ

200年以上続割烹料亭をこれからの未来に繋ぐためのチャレンジ
兵庫県丹波市にある創業202年の割烹辻判です。地元の皆様に愛されてなんとかこれまで続けて来れました。しかし当店もコロナの影響を大きく受け、一時はお店を畳む事すら考えました。しかしこの歴史あるお店を丹波市から無くしたくない!新たな業態変更でこれからの未来に繋ぐ。六代目の強い想いで挑戦します。

200年の歴史を絶対に守りたい!
2021年6月再始動の決意。
兵庫県丹波市にある割烹辻判6代目の上田隆(りゅう)・裕美(ゆみ)と申します。

まず始めにお店のお話をさせて下さい。
“割烹辻判”

兵庫県丹波市春日町で創業202年。

1819年、徳川幕府は第11代将軍徳川家斉の時代に創業されました。

春日町国領(こくりょう)という村は明治32年に阪鶴鉄道(今の福知山線)が開通するまで、大阪ー福知山間の交通の要所であった瓶割峠のふもとにあったため、山村の村でありながら一つの経済中心地となり非常に賑わっていました。

その国領の中心の“辻”にあったという事と初代“判次郎”の“判”をとって『辻判』と屋号が付けられました。

創業当時は旅館業を営み、軍人さんなども多く利用されたそうです。

当時の宿帳がまだ残っています。三代目、百蔵の名前が入っています。今から78年前のものです。

そして現在”割烹辻判”は5代目上田元志へ。

私の父です。父は中学卒業してすぐ大阪へ修行に出ました。

これは約60年前の写真です。大阪の修行先にて。体操の金メダリスト遠藤選手と。

その道約60年・・・

辻判の為に人生を捧げてきた人です。そんな父の姿をずっと見てきました。

稼業が忙しい時も子供の事に一生懸命になってくれる両親でした。

そして6代目に受け継ぐべく粛々と準備を進めていたところ新型コロナウイルスの猛威に晒されることに・・・

グループ会席や大人数での宴会を柱に営業してきた辻判にはあまりにも打撃が大きく、売り上げは一気に9割減少し、仕入れ在庫も余ってしまい大変な損害を受けてしまいました。

大きなお座敷も一度も足を踏み入れる事なく終わる月も。

家族全員意気消沈しどうしたらよいのか、お店をたたむことも考えました。
しかし!辻判ののれんをこれからも受け継いでいきたい

200年の歴史を継承していきたい、その一心で周りの沢山の方々にアイデアやアドバイスを求めたところ、本当に親身になってくださりこの200年の歴史ある辻判ののれんを守ろうと立ち上がって下さりました。

何より、ずっと頑張って継承してきてくれたご先祖様、そして側で見てきた父の姿、父の思いを繋いでいきたい!!

父が人生を懸けて守ってきてくれた辻判の火を、コロナなんかに消されてたまるものか!!

これはもう大きなプロジェクトとして立ち上がるしかない!
そして”割烹辻判”は今年生まれ変わる決意をしました。”うなぎ辻判”。

会席料理の〆にお出ししていた鰻丼。お腹いっぱいと言っていたお客様が最後に出てきた鰻丼をペロリと平げ、本当にご好評いただいていた鰻。

鰻のタレは200年間継ぎ足され続け、今尚決して他店には表現出来ない絶妙な旨味と自負しております。

しかし、今まで会席料理をメインにしていたので鰻自体にそんなに重きを置いていなかったのが正直なところです。

今回その鰻をメインにしてはどうか。

この至極のタレと産地にこだわった国産鰻と備長炭。

そして何よりこの鰻にかける想いをのせて、1人でも多くの方々に届けたい。

今まで丹波に無かった鰻のひつまぶしと鰻重の専門店として私たちは新たな一歩を踏み出します。

『うなぎ辻判』としてこの地でもう一度、皆様の憩いの場であり、少しだけ贅沢なひと時、そして想い出づくりの演出が出来ればと願います。

そしてまた未来へ継承していくべく5代目と6代目が手を取り合って強い気持ちでこの困難に立ち向かいます。

その為にどうか皆様のご支援、よろしくお願い致します。