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【28歳跡取りの挑戦!】前橋市の創業99年のホテルを経営難から救う!
3 ~ 4 分
▼ご覧頂きありがとうございます。
初めまして。僕の名前は『関口悟』といいます。1992年3月16日に群馬県前橋市に生まれました。
県内の県立高校を卒業してから現在に到るまで県外で海外のアパレルブランドに勤務しておりました。
今回初めて僕がクラウドファンディングをさせて頂く理由は、実家で経営しているホテルを救う為です。
コロナ渦で倒産の危機に追い詰められているこの会社を救うというプロジェクトを掲げております。まだまだ未熟者の僕ですが、最後まで読んで頂き僕の想いを1人でも多くの方に知って頂けると幸いです。
楽々園前にて
▼楽々園について
母の実家は群馬県前橋市の敷島公園の中にある『パークホテル楽々園』というホテルをやっています。
楽々園の歴史は長く大正11年に「茶店」として僕の曽祖父にあたる塩澤藤十郎が始めました。
創業当時の茶店楽々園イラスト
その後、曽祖父が亡くなり曽祖母へと受け継がれ昭和58年に祖父の塩澤勝が茶店から旅館業に転身し、
現在のパークホテル楽々園をスタートさせました。
祖父の塩澤勝は前橋市の観光協会と共に、楽々園の所在地でもある敷島公園の中に枝垂れ桜を植樹するなど地域の活性化にも力を注いで参りました。現在は桜の季節になると毎年の様にお花見客で溢れる県内でも人気のお花見スポットにもなっております。
ホテルになった当時の楽々園
お花見シーズンの敷島公園
ライトアップされた枝垂れ桜
祖父の塩澤勝は僕が産まれて2年後の平成6年に亡くなり、その時から現在に到るまでの26年間祖母の塩澤靖が楽々園を支え、2021年に楽々園は創業99年を迎えます。
昭和後期から平成初期の楽々園は、2階にある大ホールで結婚式も行われたり、度々宴会場で宴会の開催される地元の方々に愛される存在でした。
当時のパンフレットしかし、時が経つに連れて施設も老朽化し祖父の亡き後楽々園を支えてきた祖母も今年で84歳を迎えました。祖母の年齢で全ての業務をこなすには限界が来ており、客足も年々減少するばかりでした。
そこに来て今年のコロナウイルスショックです。収入源である宿泊客が2月以降完全に途絶え、
春を超えた5月頃にはいよいよ98年続いた楽々園も存続の危機に瀕していました。
▼受け継ぐ決心
その頃僕は長野県軽井沢町で海外の大手アパレルブランドに勤務しておりました。
年齢的に後輩の数も増え、次の世代のリーダーになる為に日々働いていました。
そんな時に母から楽々園の現状を知らされ、心が痛みました。
小さい頃から休みの度に母に連れられ楽々園に来ていました。公園内を駆け回り、目の前の野球場で開催されていた高校野球の県予選を観て、小さな子供には3階建ての楽々園は大きな遊び場でした。
このまま終わらせていいのか?
僕にできる事はないだろうか?
楽々園創業は大正11年、当時はまだ終戦前です。
初代当主の塩澤藤十郎は石ころだらけの土地で大きな石を手作業でどかす所から始めたそうです。
そこから現在に至るまでの98年間。石ころをどかして造られた楽々園は多くの人々に愛されてきました。ボロボロになりながら、多くの人に支えられながら98年もの間楽々園は走り続けてきました。
僕は祖母からそのバトンを受け取り、走り出す事を決心しました。
▼再興の第一歩は公園内売店
楽々園は徒歩1分も掛からない場所で小さな売店をやっております。
敷島公園をご利用されるお客様が飲み物やお菓