のの、奇跡の復活を遂げて平和な日常を送っていました。
勉強にサークルに大学生生活を満喫していたある日、母の手にマニキュアを塗った際手が震えて塗りにくく「お母さん手揺らさないでよ!」と言ったのがこの病気を知るきっかけでした。
それまで、何も考えずに学生生活を満喫していた私にとって母の難病、余命宣告はあまりにも衝撃的すぎる出来事でした。
訳も分からないまま、母の病気は進み、介護も始まり、現実逃避と自分の人生を歩いていくのに必死の日々。
なんとか大手企業の保育園に就職するものの身体がついていかず、数ヶ月で休職、その後転職して再び保育士になりましたが自分の人生を考えるだけでもいっぱいいっぱいで仕事は続けられるのか、結婚できるのか、子供を産めるのかと将来への不安が沢山ありました。
そんな大変な状況でも待ってくれない病気の進行。
転倒してガラスに突っ込んだり、頭を切ったり、食べ物を上手く飲み込めずに窒息しては救急車を呼び、救急外来のお世話になる日々に泣いてもがいて必死だったのを思い出します。
あの頃は街ですれ違う人を見て「あ、この人はこんな悩みなんてないんだろうな、良いなあ」なんて思ってしまうほど心に抱えるものがありました。
そんな私を救ってくれたのはケアマネさんや訪問看護師さん、友人、ブログを始めてから出会う同じような状況の方々でした。
介護のかの字も知らない私に1から手取り足取り教えてサポートしてくださり、気がつけば前向きに考えることができるようになり、仕事・結婚・出産と自分自身の人生も歩みながら母の介護をすることができるようになりました。
しかし、ふと見ていたテレビ番組でヤングケアラーという言葉を知り、私よりももっともっと若い小学生や中高生の子たちも親や兄弟姉妹の介護やお世話をしていてヤングケアラーの存在が少しずつ明るみに出てきていること・多くの問題(友人関係が希薄になりがちで孤立してしまう、進学や就職を断念せざるを得なかなってしまう、学業に影響・学力低下、悩みや気持ちを吐き出す場所がないなどの)を抱えていることを知り、若年層での介護をしている人数の多さに衝撃を受けました。
また、現在日本にはヤングケアラーを支える体制は4つしかありません。
(調べ不足で他にもありましたら申し訳ありません。)
▲一般社団法人法人 日本ケアラー連盟
(活動内容)
・調査
・政策立案、提言活動
・ケアラー支援事業(ケアラー手帳(認知症)
▲親&子どものサポートを考える会
精神に障害を持つ親と子どものための会
▲子ども情報ステーションbyぷらすあるは
精神障害やこころの不調、発達凸凹などを抱えた親とその子どもの応援をするサイト
(看護師や医師を中心としたチームNPO法人ぷらすあるはが運営)
▲sibkt
障害者のきょうだい(兄弟姉妹)のためのサイト
埼玉県では全国初の支援条例ができたり、浜松市も支援を開始するなど自治体もヤングケアラーの存在やサポートを開始し始めていますが、まだまだ知られていないことも多く、サポート体制も整っていないと言えるのが日本の現状です。
私もまだまだ未熟者ですが、介護をしながら学生・社会人・結婚や出産を経て今となり、それらの経験を生かしたいと思いました。誰にも言えず、誰に話したら良いのかと悩んでいる・困っているヤングケアラーの方々のお役に立てる存在(団体)を作りたいと思い、任意団体aka aka ohanaを立ち上げることにしました。
この団体が悩んでいる方々のサポートをして必要な場合は自治体へ繋げ