介護に笑顔を。

療ケア(吸引、腸瘻、胃瘻、ストマなど)

・大きな決断(救急搬送時など)

◯私が感じていたこと

・母の病気を信じたくない気持ち

・母を可哀想に思う気持ち

・将来への不安(働けるのか、結婚できるのか、子供は産めるのか)

・周りに話せない

◯全て経験してみて、、

<学業と介護>

・周りが楽しく遊んだりバイトしている中で母が死んでしまうかもしれない、母はどうなってしまうのかといった漠然とした不安を抱えて周りとの差に悩む。

・将来働けるのか?といった不安を抱える。

・夜中緊急事態が起きて睡眠不足のまま授業を受けることは辛かった。

・周りに話しても介護のことなんて理解されないだろうなと勝手に思い込み、介護についての悩みを話せる相手がいなかった。

→振り返ると学生生活も楽しめていたなと思いますが、母の病気を知ることが怖く向き合うことを避けていました。その結果、まだ動けるのにまだ話せるのに母との時間を多く作れなかったことに後悔している。

<仕事と介護>

・周りの人の理解が必要だった。

・急な早退や休みもあるため、職種や働き方を臨機応変に変えていく必要があった。

・仕事中に緊急事態が起こるのではないかと心配になったり、入院中はより心配で落ち着かない中仕事をするのは大変だった。

<子育てと介護>

・母との時間、息子との時間、家のことをやる時間、自分の時間と時間配分の難しさの壁にぶつかる。

・家は常に綺麗にしておきたい、ご飯は自分で作りたいなど全て完璧にしたい自分と思うようにできない自分の差のジレンマを抱える。

・子供が泣いた時と母の対応が必要なとき、何を優先させたら良いのか分からなくなってしまうことも多かった。

このように様々な場面で沢山の壁にぶつかり、嫌でも現実を見なくてはいけないこと、理想と現実の差についていけなくなるといったことに陥りました。また、周りが当たり前にできていること、当たり前なことが当たり前でない時も多く、周りに相談できないこともありました。

また、介護の知識・医療の知識・子育てと両立していく方法など何も分からないまま試行錯誤でとりあえずやってみるしかない!という状況のまま生活してきました。

有難いことに素敵なケアマネージャーさんや訪問看護師さん、リハビリの方々たちと出会うことができ、友人たちも福祉や保育についての学科出身の子が多かったりとスムーズに理解してもらうことができ、沢山の支えの中今笑顔で過ごせるようになりました。

しかし、私が介護をすることになるより遥かに早い時期から介護をしている人の多さに驚き、息子は生まれつきヤングケアラーなのだと気が付きました。もし私と同じように悩んでいる方がいたら、介護をしていることにより将来に漠然とした不安を抱えている方がいたら経験者だからこそお手伝いできることがあるのではないかと思っています。

任意団体を設立後は会員と団体で活動してくださる方を募集して定期的に介護と学業、仕事、育児など両立している方に向けたペーパーの発行、悩み相談などを始めていきたいと思います。

その後、オンラインでヤングケアラーの会の開催やコロナが落ち着いたら対面での会、会員や任意団体のスタッフ、資金が集まったら将来的にはNPO法人化や介護される側も介護する側も気軽に利用できるカフェができたら良いなと思っています。自分が思う理想を持ちながらも周りの方々からの意見を大切に活動していきたいなと思っております。

🐬プロジェクトをやろうと思った理由🐬

私が高校生の頃に母が脳内出血で倒れたも