実施理由/背景
語り継がれてきた歴史と信仰の場「今村天主堂」を残したい
国内でも珍しいレンガ造りの教会「今村天主堂」が建設されたのは、1913年(大正2年)です。教会建築の巨匠、鉄川与助の最高傑作とも言われており、双塔のレンガ造りの教会は日本では非常に珍しい建築物として、2015年(平成27年)には国の重要文化財にも指定されました。キリシタン弾圧の歴史を乗り越え建てられた今村天主堂も築100年を越えました。歴史的価値が増していく一方で、熊本地震や台風など自然災害により柱が傾き、亀裂が入る、老朽化で変形するなど建物自体の損傷も目立ってきました。
平成29年から平成30年にかけて行った耐震診断の結果によると、建物のみならず、地盤への補強工事の必要性も高まっていることがわかりました。今村天主堂を保存するために必要な工事費用は25億円以上が見込まれています。
従来、教会の維持や補修は信徒による寄付などによって賄ってきました。しかし、少子高齢化の影響にて信徒は減少し、今や900人ほどです。国等の補助があっても、地元信徒の負担も非常に大きなものとなっています。
プロジェクト内容説明
弾圧の歴史と空高くそびえる塔の教会
今村のキリスト教信者は1552年ごろにはいたのではないかと言われています。1587年豊臣秀吉によるバテレン追放令が出され、江戸幕府が1612年にキリスト教禁止令を定めました。1637年の島原の乱以降は、より苛烈にキリシタン禁教が徹底され、厳しい弾圧と迫害の時代を迎えることとなりました。
今村の信徒を導いたジョアン又右衛門も拷問を受け棄教を迫られますが、それに応じずに見せしめとして、磔刑に処せられ殉教したと伝えられています。そのような中でも、信徒たちは耐え忍び、ひそかにその信仰を守り続けました。
約300年近く隠れて信仰を守っていた7,200人もの今村潜伏キリシタンの苦難に報いるため、第5代本田保神父が「空高くそびえる塔の教会」の建設を切望し、今村天主堂が建設されることになりました。今村天主堂の祭壇の下には、殉教したジョアン又右衛門の墓が建てられていたそうです。本田神父も信徒の一斉摘発といえる浦上四番崩れで流刑にあい、死を覚悟したといいます。今村天主堂の建設に至るまで、当時の信徒がどれほど強い意志と忍耐をもって信仰を守ろうとしたのかをうかがい知ることができます。
国の重要文化財として広く公開
「今村天主堂は、北九州地域に数多く作られた煉瓦造教会堂で、平面規模、高さとも最大の規模を有する。類例の少ない双塔をそびえさせた壮観な正面構成、内部の本格的三層構成の立面とリブヴォールト天井、精緻な細部装飾など、意匠的に優れている。鉄川与助による煉瓦造教会堂として最も充実したもののひとつであり価値が高い。」と高く評価され、2015年(平成27年)には国の重要文化財に指定されました。現在も外部・内部とも建設当初の状態が保たれ、明治後期から大正初期に建設された教会堂建築の様子を知ることができます。
今村天主堂を信徒だけの財産とするのではなく、多くの方に存在や歴史を知ってもらえるようにとミサや教会行事以外に定期的な演奏会なども行われ、年間7,000人程が拝観に訪れるようになりました。トイレや大型バスの駐車場も整えられ、より訪れやすくなりました。しかし、現在は、耐震レベルが基準に達していないため聖堂内に入ることが危険であると判断され、開いたドア越しに中を覗くようにと拝観方法を変えながらも訪れる方を広く受け入れています。
目指すところ
受け継がれてきた想