か。
私自身も最初から自信満々で生きてきたわけではありません。
むしろいつも陰日向に隠れて生きてきた側の人間です。
アレルギー対応食を広めるためにミセスコンテストを選んだ理由は、
「自分自身を好きになりたい。自信を持ちたい」
からです。自分を自己否定している間は、いくら思いがあったとしても説得力がないと考えました。
日本大会では自分と向き合うことはとても苦しく、時に投げ出したくなる時もありました。
あの時のほんの少しの勇気とチャレンジで、今年1月の自分とは全く違う世界を見ることができています!
※真ん中が自分です
日本の女性にもっと自信を持ってもらいたい。
現在41歳ですが、結婚しても・子育て中でも・仕事をしていても、いつからでも挑戦できることを私の姿を見ていただき、希望を持ってもらえたら。
そう思い、まずは自分が体を張って挑戦していきます!
ミセスユニバース2021日本大会で作成した動画にも想いを詰め込んでいます。
ぜひ併せてご覧ください。
◆世界大会へ挑戦し、日本人初の入賞・世界一を目指します!
冒頭にも書いた通り今回出場するウーマン・オブ・ザ・ユニバースは、4年目となる大会です。
過去3年間、日本人は出場していません。一見不利なように見えますが、だからこそ日本人女性を物珍しく知ってもらえる機会になるのではと考えています。
他のミスコンを見ても、日本は小さい賞を受賞したら上等、ランクインすることは難関と言われています。
日本で受賞させていただいたミセスユニバースジャパン運営本部のテーマにもある、
「あなたにしかできない挑戦が、あなたもわたしも幸せにする」
を心に刻み、ウーマンオブザユニバース世界大会でも他国の女性にはない日本人らしさ、プラス私らしさを存分に見ていただき、世界一の日本代表を目指します!
応援してくださる皆様と一緒に世界に羽ばたき、日本人初の世界1位を取りにいきます!
◆長男の食物アレルギー発症がきっかけとなったアレルギーフリー食研究家としての活動
料理家と言うと、料理が昔から得意だったんでしょ?とよく言われるのですが、むしろ全くできませんでした。
中学生がキャンプで作るようなカレーでさえも、スープカレー?と思うくらい水っぽく作ったことがあるくらいです。
そんな私が料理せざるを得なくなったのは、長男が生後4か月のころに食物アレルギーを発症したことからでした。
生後4か月はまだ離乳食も始まっていないとき。
いつものように授乳した数時間後に、全身が湿疹だらけになりました。
病院で診てもらい検査したところ、「卵・乳製品・小麦」のアレルギーということが発覚。
母乳しかあげていないのに発症しているということから、お母さんも今日から卵乳小麦は食べないでくださいと主治医に言われました。(現在の方針では母乳育児でもママは除去なしでOKと言われています)
そう言われた当時の目の前真っ暗な思いは、今でも鮮明に覚えています。
家に帰って今まで買っていた食品の原材料表示を見ると、見事に上の3つが入っているものばかり。
お恥ずかしながら、これまで原材料表示を見ながら食品を選んだことがなく、そこからのスタートでした。
レシピ本やネットで掲載のアレルギー対応レシピを片っ端から作っては試し、失敗したり成功したり。
子供に安心安全なものを食べさせてあげたい・そして自分も生きていくためにおいしいものを食べたい一心で、アレルギー対応料理を独学で勉強しました。
そうこうしているうちに次男を妊娠・出産。子育ての合