、やってこれた大きな理由かもしれません。
田中角栄元首相はじめ多くの政治家、山口誓子などの文筆家、浪花千栄子などの文芸人に多く利用されてきました。館内のところどころにその歴史が残ります。
全ての個室には「待機室」がありこれは政治家などの接待の時に秘書が待機する部屋です。昭和の雰囲気を残す浴室や、一木のデザインプレート、長い縁側の下には防空壕が眠っています。旧国鉄推薦旅館プレート横の窓は、なんでも祖父が随分と悩んで意匠を凝らしたと伝え聞きました。
下津町は食も豊かです。有名な下津みかん以外にもたくさんのフルーツの産地でもあります。しらすや鱧、太刀魚をいった海産物、紀伊山地での和歌山ジビエをはじめ山からの恵もあり、海南市内には酒蔵もたくさんあります。
塩津・戸坂地区 海を見渡せる小さな漁村です
小畑地区 一木と長保寺が眼下に見え、夕日が水平線に沈む眺望をぜひ見にきてほしい
私が小学生の頃は、長保寺の境内でイモリを捕まえ、野山を駆け回っては適当に果実を取り、池でとった海老を餌に海釣りをするというようなことを毎日のようにやっていました。今から考えると、非常に贅沢な体験です。そんな下津町ですが、石油企業の撤退と少子高齢化により急激に廃退し、高速道路の南進により私たちの町が半島ごと切りととられた形になったために、消滅の危機を迎えています。同じような課題を抱えた地域は日本国中至るとことにあり、下津町だけが特別なことではありません。現状の課題を他地域の方と共有し、地盤沈下がすすむ地域が手を取り合って、それぞれの地域課題を解決する必要があると思います。
承継する思い
今までの伝統を守りながら、永く地元に根ざしたお店を作っていこうと思います。
◆塾の経験から
普段は、和歌山市内の塾で、大学入試の数学を教えています。教師の仕事はとても刺激的で、若い人のエネルギーをもらえるのも魅力、数年後に、教え子が会いにきてくれたりすることにもやりがいを感じます。
が、少子高齢化がすすむ今の和歌山県には、優秀な若い人たちが働く環境が少なく、一度県外に出てしまうと、二度と戻ってくることはありません。友人の経営者などは、常に人材の不足を嘆いており、塾生の大半が県外に出て行く現状と、県が抱える人材不足を目の当たりにし、地元に貢献することへの矛盾を感じていました。子供達のそれぞれが考える未来の中の一部に和歌山があれば、と考えるようになりました。
1日の半分は数学を教えています
◆紀州徳川家献上料理
私たちに下津町民にとって、国宝長保寺は特別な存在です。生活の中に溶け込んでいます。
長保寺には、江戸時代の「紀州徳川家献上料理」(将軍の食事)に関する膨大な量の文献と、それに使用された食器などが残っていました。和歌山県のイベントでそれを復活したら面白いのではないかとなり、そこから、一木と海南市飲食組合の料理人の挑戦が始まりました。文献を読み解く作業や、今では使用されない食材の考察、中でも味付けの詳細が不明なことが難しく、文章表現や食材から予想して現代に蘇らせる作業が困難を極めました。海南市調理師会は平均年齢がかなり高くなっていますが、長年調理人をやってきたプライドや継承する思い、そして何より長保寺を愛する想いから、ライフワーク的に長い年月をかけて、現代に復活させました。生涯をかけて無償で取り組んだ労力は計り知れなく、私はこの取り組みを守っていきたいと思っています。(「紀州徳川家献上料理」は海南市調理師会が有する文化です)
◆戸坂の鱧
夏の風物詩である鱧は、みかんと