はじめに
埼玉県熊谷市の「源宗寺護持会」代表の藤井利枝と、地域文化財の修復や保護の支援をおこなっている「株式会社文化財マネージメント」の宮本晶朗です。
このプロジェクトは源宗寺護持会の藤井と、(株)文化財マネージメントの宮本が共同で実施しています
埼玉県熊谷市の平戸にある源宗寺には、「平戸の大仏(おおぼとけ)」として知られる2体の巨大な仏像が伝わっています。
平戸の大仏(おおぼとけ)
向かって右側の像が「薬師如来坐像」 、左側が「観世音菩薩坐像」。
像の高さは3.5m、台座を含めると4mほどにもなる木造の仏像で、江戸時代初期(17世紀)に制作されたものです。
埼玉県内の木造寄木造の仏像としては最大級の大きさであり、熊谷市の文化財にも指定されています。
人と並んだ大仏
県内有数の文化財ともいえる像ですが、昨年になって経年劣化によって構造の上の危険が大きいことが判明したため、修復する必要が生じました。
修復は2期に分けて計画しています。
今回のプロジェクトではまず第1期の修復を目標とし、その内容は構造の補強などの像の内部の作業を中心としたものです。
地域の貴重な文化財を後世に遺すために、皆さまのご協力をどうぞよろしくお願いいたします!
源宗寺と大仏について
源宗寺は、平戸村の名主を務めていた藤井雅楽之助によって江戸時代初めの正保年間(1645~1648)に創建されたとされます。
僧侶・源宗が初代住職となり、当初は草庵のようなものでしたが、後に本堂と大仏が同時に建立・造立されたと考えられます。
本尊は薬師如来像と観音菩薩像の2体の大仏で、寛文2年(1662)に源宗が念仏一万日を修しながら造ったといわれます。
文化・文政期(1804~1829)に編集された地誌である『新編武蔵風土記稿』にも、源宗によって制作されたと記されています。
その後の正徳3年(1713)には大仏が破損したために修繕がおこなわれており、像の内部にもそのことについての墨書があります。
正徳3年に修繕したという墨書
その際には、源宗寺の周囲1里(約4km)の村々から修繕費用が支出されており、近隣から多くの信仰を集めていたことが推察されます。
大仏の利益としては、目の病気、馬の病気を治すということがいわれ、病気平癒を願う参拝客を集めました。
明治時代の一時期には廃寺になるなど衰退することもありましたが、源宗寺と大仏は護持会を中心に護られ、地域の人々に信仰されて今日に至っています。
本堂建て直しと大仏の移動について
像が安置されている源宗寺の本堂は老朽化が進んでおり、像の保存にも支障が生じ始めていたために建て直しをすることが計画されました。
それには多額の費用が必要でしたが、護持会の負担に加えて、ありがたいことに地域の多くの方々からご寄付をいただき、建て直しができることになりました。
2020年12月に本堂を解体、新たに建設を開始して、2021年12月に完成予定です。
建設中の本堂
本堂の建て直しにあたっては、まず像を移動して堂内を一旦空にする必要がありました。
1体あたりおそらく500kg以上の巨大な像であるため、移動だけでもかなり大変な作業でしたが、無事に仮屋まで移動し、本堂完成まではこちらに仮安置しています。
移動のための準備移動している様子
大仏の状態
本堂から仮屋までの移動に伴い、像の状態調査がおこなわれました。
その際に、本堂だけでなく像のほうも経年劣化による老朽化が著しいことが初めて判明しました。
像の構造は、巨大なこともあって多くの角材を