ケニアの田舎町に職業訓練校を建て、若者たちに技術を身につけさせたい!

ケニアの田舎町に職業訓練校を建て、若者たちに技術を身につけさせたい!
急速な経済成長を続けるケニア。学歴社会になりつつある一方で、様々な事情で進学できない若者たちは定職に就けず、家事手伝いや単純な日雇い労働をしながらその日暮らしをせざるを得ず、貧困から抜け出すことができません。技術を身につける機会がない田舎町に、職業訓練校を建てるためのご支援をお願いします!

はじめに

村の子どもたちと

 ジャンボ!(スワヒリ語で、こんにちは!、の意)都丸つや子と申します。保育園など幼児教育に50年間ほど携わってきた私は、84歳になる現在、NGOウシリカインターナショナルという団体の仲間と共にケニアで幼稚園、小学校を運営しています。これまでの経緯と今回皆さまにご支援をお願いしたいと思っているプロジェクトについて、ご紹介します。

 いつか必ず行きたいと思っていたケニア。大自然のなかで動物たちに会いたい!それだけの理由でした。ある講演会の席でケニアの養護施設で里親を募集していました。大好きなケニアの役に立てば、と定年退職を記念に里親に応募しました。これがきっかけとなり、2006年ある大学のスタディーツアーに参加しました。そこで目にしたのは、裸同然のボロをまとい、赤ちゃんを抱いたり背負ったりしている子どもたち。中には赤ちゃんを背負い又は抱いて、私たち一行を好奇心に満ち食い入るように見る目は黒々と大きく輝いていました。目が合うとニコッ、と人懐こい笑みを返す子どもたちに、すっかり魅せられてしまいました。聞けば貧しくて学校へ行くことができない子どもたちとのこと。この子たちに何とか文字だけでも教えたい、学校へ行かせてあげたい、と途方もないことを考えながら帰国しました。

 日が経つにつれて、ケニアへの思いは募るばかり。翌年再びケニアへ向かいました。何ができるわけでもないけれど、とにかく行きたい、あの子どもたちにまた会いたい、と。そこで出会ったのが、当時、仕事でケニア最大の財閥サミアグループの一員として滞在していた、矢野敏行氏でした。

「ケニアを知るためには最低でも3か月、6か月は滞在しなければ」とアドバイスを受けて、2年後の2009年に3度目のケニア入り。そこで矢野氏から学校建設の計画を聞かされました。これも何かの運命、と迷わずその計画の仲間入りをしました。

 学校建設予定地は何もない野原。当時は首都ナイロビから道が悪く車で5、6時間かかり(現在では綺麗に舗装されたおかげで3時間)、水道も電気もないロイトキトクという田舎町です。何もないけれど、学びへの意欲あふれる子どもたちはたくさんいました。2009年1月開校時、生徒50名募集のところへ70名押し寄せ、教室が足りずに野外でも授業を行うことに。友人知人からの支援金で、2014年には小学1年から8年生までの校舎が完成。さらに、乳幼児専門の教科書を出版している、株式会社萌文書林の資金を受けて幼稚園を建設。幼稚園の机と椅子は、大学のスタディツアーの主催者、元・目白大学教授、西方毅氏から寄贈されました。活気あふれるロイトキトクの市場

幹線道路を横切るキリンの群れ

運動会で大歓声をあげて応援

キリマンジャロ山を背景に
小学校の子どもたちと

 また、日本政府の草の根・人間の安全保障無償資金提供を受けてソーラーシステムを設置したり、30トンの水タンクを三井物産CSR活動資金で設置するなど、周辺の人々の暮らしを向上させる取り組みも行ってきました。2021年度現在、幼稚園2年制約60名、小学校は1~8年生計約180名、総勢240名程が在籍しています。

幼稚園の教室で
解決したい社会課題

 開校から10年を迎えた2019年4回目の卒業生を送り出しながら、ずっと考えていることがありました。
どの子どもも学習に対する意欲は高く、どの親御さんたちも子どもたちに勉強させたい、良い成績をとってほしいと願っています。一方で、詰め込み型の教育のケニアでは高い学費を払って高校を卒業しても社会