「我孫子遺産」を次世代へ 市指定文化財 志賀直哉邸跡書斎修復プロジェクト

「我孫子遺産」を次世代へ 市指定文化財 志賀直哉邸跡書斎修復プロジェクト
志賀直哉は、大正から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する作家で、「小説の神様」とも称されています。現在の我孫子市には、大正4(1915)年に移住、同12(1923)年まで居住し、執筆を続けました。志賀直哉が執筆時に使用していた書斎は、現在我孫子市が管理していますが、経年劣化が進む中で修復が必要な状況となっています...

実施理由/背景

名作を産み出した志賀直哉邸跡書斎を未来へ繋ぎたい!

我孫子市には様々な文化財があります。特に志賀直哉の書斎がある手賀沼沿岸には、講道館柔道の嘉納治五郎の別荘跡地や、朝日新聞の記者であり、国際的にも活躍したジャーナリスト、杉村楚人冠の邸宅があるなど、大正から昭和初期に活躍した文人たちが集まりました。なかでも志賀はこの地で暮らし、創作活動を行いました。たとえば、父との不和を解消できた喜びから「和解」を発表し、唯一の長編小説である『暗夜行路』の大半はこの書斎で執筆されました。
書斎の建築については志賀本人が設計に深く関わり、我孫子の大工・佐藤鷹蔵により大正10(1921)年に建てられ、「地域のたから」として公園の敷地内に移設し、大切に保存されてきましたが、近年経年による劣化が目立ち、修復が必要な状況となっています。市では、多くの作品が誕生したこの志賀直哉邸跡書斎を次世代につなげるために守り続けていきたいと考えています。
【写真について】
中央和装の男性が志賀直哉。志賀の右側女性は声楽家、柳兼子。兼子右で子供を抱いているのは柳宗悦。学習院時代からの友人だった柳が我孫子に住んでいた関係で、志賀は我孫子へ転居しました。(写真は我孫子市白樺文学館蔵)
プロジェクト内容説明

志賀直哉邸跡書斎を修復します!古き良き我孫子を守る「我孫子遺産」の修復・保存

今回のプロジェクトでは、志賀直哉邸跡書斎を修復します。修復箇所は建物内部では、天井・壁・障子などで、外部では軒ひさしなどです。志賀直哉は書斎の建築時に、できるだけ高級な木材を使わず木の肌や虫食い跡などを活かした簡素な建物づくりを目指したと伝えられており、こうした思いを踏まえて、修復に際しては現在使われている木材などはできるだけ活用し、志賀直哉が使用していた当時の雰囲気を壊さないよう細心の注意を払って行っていきます。
また、志賀直哉邸は崖を切り開いた土地に立地しており、湧水も見られる場所で湿気が多く、今年度予定している修復作業以外も今後も定期的な修復が欠かせないものとなります。また、志賀直哉邸以外にも我孫子市には多くの文化遺産がありますが、志賀直哉邸同様に来年度以降定期的な修復作業が必要となるため、目標金額以上のご寄附を頂いた場合には、来年度以降の志賀直哉邸修復に要する費用や他の文化財の維持管理、資料の修復・保存のために活用していきます。
【写真について】
この写真は、志賀直哉が書いた旧居図になります。右につけた赤い丸の場所が今回修復する書斎になります。

今ある書斎をよりよく修復したい!

今回の修復する場所は、天井、畳、壁、障子、軒ひさし、濡れ縁です。
【天井について】
天井は網代天井となっていますが、網代が破れ、場所柄湿度が高いため、天井から浮いている状態です。いつ、網代天井が落ちてしまってもおかしくない状況です。
【畳について】
週末の数時間しか一般開放をしていませんが、移築から一度も畳替えを行っていない状況です。畳はヤケ、切れている箇所もあります。
【壁について】
壁は漆喰で塗られていますが、経年による色あせが目立ってきました。
【障子について】
障子は自力で直してきましたが、追いつかないのが現状です。
【軒ひさし】
周りは木々も多く、静かでよい場所ですが、落ち葉はひさしを痛め、一部腐ってひさしとしての機能を果たさなくなっています。陽の光が部屋の奥へと入ってしまい、内部の状態の劣化に拍車をかけています。
【濡縁】
濡縁も軒ひさし同様、いつも風雨にさらされているので、一部腐っています