札幌に、カルチャーと公共の境界線を溶かす「書店+シェルター」をつくりたい!

札幌に、カルチャーと公共の境界線を溶かす「書店+シェルター」をつくりたい!
札幌で2014年から続けてきたゲストハウス「UNTAPPED HOSTEL」別館を「書店+シェルター」にするプロジェクトを始めます!昨年から始めたシェルター事業を持続的にするために、新たに書店を立ち上げます。旅人を受け入れてきた視点だからわかる、いまの札幌に最も必要な「新しい公共」の場所として。

あります。貧困や格差の問題、都市部への人口集中がもたらす問題、気候変動、ジェンダーや差別の問題など……

その中で、特にUNTAPPED HOSTELが近くで関わってきたものが、貧困や孤独の問題です。育った家庭環境で受けた苦しみや、身寄りのない孤独、仕事と住まいを簡単に切られてしまう派遣労働の不条理など、本人の口から語られる様々な背景に触れ、その切実さに辛くなる事、自分の無知、無自覚さに恥じ入る事も多々ありました。

昨年から受け入れてきた80人以上のほとんどが、職を失い、複雑な家庭環境で、全所持金が数百円、という人も多くいました。全国からあてもなく札幌にたどり着いた人も数十人。刑務所から出たばかりという人もいました。

しかし、その一方でそれを支える人たちの存在を深く知れたことも大いに励みとなりました。日々の相談対応や炊き出し、夜回り、調査などの地道な活動を、誰の評価を得るためでもなくずっと続けてきた人たちがいます。私もまた、UNTAPPED HOSTELだからこそできる「ケア」というものの形を模索し、その最後尾に並びたいと思いました。

シェルター運営をはじめてから、自分なりにその意義というものを探ろうとして出会った本のうちの一冊に「Who cares?(邦題:ケアをするのは誰か?)」という本があります。著者である政治学者のジョアン・C・トロントはケアの定義を以下のように示しています。

「もっとも一般的な意味において、ケアは人類的な活動であり、わたしたちがこの世界で、できるかぎり善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる。世界とは、わたしたちの身体、わたしたち自身、そして環境のことであり、生命を維持するための複雑な網の目へと、わたしたちが編み込もうとする、あらゆるものを含んでいる」

これまで「ケア」という言葉を聞いた時にまず思い浮かぶのは「施しー施され」という非対称的な関係性でしたが、この定義に従うなら、ケアを担う人、ケアを受ける人の固定的な線引きはなく、それは常に入れ替わり続ける関係性であり、「わたしたちが、この世界でできる限り善く生きるため」の活動全てがケアに繋がる可能性を持ちます。身近に寄せて言うと、「生きてりゃ誰だって持ちつ持たれつ」のはずで、誰もがケアの当事者たり得るということです。

シェルターを運営しながら、このことを深く実感する経験をしました。

入居者の中で、非常に上品なSさんという人がいました。今に至るまで最高齢の入居者で、かつては美容師であり、自分で会社を経営していた時期もあったそうです。

ある日二人でリビングにいるときに、昔の写真を懐かしそうに広げ、僕に思い出話をしてくれたことがありました。家族や友人の写真や、ご自身が経営していた会社の社員旅行の集合写真、旅先での写真などです。

そこには、私たちがアルバムに収めている写真の雰囲気となんら変わらない、幸せそうな笑顔が並んでいました。時間にするとそんなに長くはありませんでしたが、その時の親密なコミュニケーションを通じて、孫ほどの年齢の自分を隔てるものが溶けていくような感覚がありました。Sさんが自分の年齢の頃は、おそらく一生懸命仕事をして、問題や悩みも抱えて、周りに仲間もいて、社員旅行にも行って、、、という日々だったのではないでしょうか。誤解を恐れず言えば、その時私は「ここに写っているSさんは私なのかもしれない」と思ったのです。

シェルターという機能の中では、私たちが彼をケアする立場であり、入居者の人たちとは非対