ご挨拶
富山県黒部市の温泉旅館、生地温泉たなかやの田中花星と申します。
千葉県から当旅館に嫁ぎ、5年になります。
まだまだ未熟で不器用ではございますが、旅館内での接客と、広報活動を担当しております。
生地温泉たなかやは、明治44年に創業し、上杉謙信公発見の霊泉、詩人・田中冬二ゆかりの宿として110年、その看板を守って参りました。
今では、生地で旅館を続けている旅館は私共一軒のみとなりました。
華やかさのない、素朴で飾り気のない旅館ではありますが、ゆっくりと流れる「生地時間」の中で、静けさを愉しみお寛ぎ頂ける宿を常に目指してきました。
▼四代目女将、五代目若旦那、四代目社長
生地温泉たなかやの紹介
生地温泉たなかやは、明治44年(1911年)「生地鉱泉」として創業しました。
生地温泉は上杉謙信による発見、という開湯伝説がございます。
●生地温泉の由来
上杉謙信が病のため歩けなくなったとき、
新治神社*の神のお告げにより、この霊泉を発見し、
教えの通りその霊水に入浴したことで脚気が治癒したと言われています。
(*ここ生地地区に在る古社で、天智天皇の御代の創建と云われています。文治元年に発生した文治地震の津波によって、かつての新治神社は新治村ごと海中に沈んだと言われています。その後、新治村の人達が移り住み「新しい地として生まれ変わった」という意味から生地村が生まれ、新治神社はその産土神として現在地に遷座しています。)
当館は上杉謙信が発見したとされるその泉を沸かし、長きにわたり温泉宿を営んで参りました。
●ロマンの詩人 田中冬二
また、たなかやは詩人・田中冬二の父の本家でもあります。
明治27年、父吉次郎、母やゑの長男として、冬二は父の任地福島市に生まれましたが、
少年期に両親と死別し、冬二は不遇な幼少年期の夏休みを「たなかや」で過ごしました。
当館初代館主・田中菊次郎をふるさとの親父として慕い、
生前の冬二の言葉では
「黒部の生地はいいところです。私は東京に住んでいますが本籍は生地から離しません。あくまでも越中人として生きたいのです。」
と語ったといいます。
当館では、田中冬二の直筆の原稿や数々の資料を展示しており、生地のまちを愛した彼の温まる作品にふれることができます。
●約五千坪の庭園
四季折々の花々・木々が配された約五千坪の日本庭園がございます。
かつて、今の倍以上あったという池には船が浮かべられ、船上で宴を楽しむ様子もあったといいます。
幾重にも立つ大きな松の木がその歴史と風格を感じさせてくれます。
たなかやが、大切に守ってきた自慢の庭園です。
新型コロナウイルスの影響
世を襲った新型コロナウイルスの荒波は、私達にとっては予想外の打撃でございました。
人の流れが完全に止まってしまった2020年5月、「旅館というお仕事は、お客様に足を運んで頂かなければ成立しない」ことを痛感致しました。
同時に、「人の流れが止まってしまったら、私たちの存在価値は無くなってしまうのか」と、非常に悔しい思いをしました。
世の中でリモート事業が推進されていく中、私達は完全に取り残されていました。
バーチャルステイなど新しい旅の在り方について考えた事もありましたが、
宿に着いて、花木や畳の香りに癒やされ、温泉でじんわり身体を温めてから、上げ膳据え膳のお食事…どれをとっても遠隔で叶えられるものではありません。
GoToトラベル事業で賑わいを取り戻した時期もありましたが、書き入れ時の年末年始やG