三原正家ゆかりの尾道で、刃 (やいば) の歴史を守りたい

三原正家ゆかりの尾道で、刃 (やいば) の歴史を守りたい
初代正家に始まる備後鍛冶と六代正家に始まる三原鍛冶、そして、七代正廣に受け継がれた刀匠其阿彌の歴史の学術上の効用に供し、また、美術的に大変貴重な三原派の刀剣、其阿弥の鐔などの保存と画像の管理をすることで散逸を防ぐことを目的として、その上で、日本全国の文献と歴史的建造物の保存の調査を行います。

用されました。

・広島県福山市草戸町

 草戸千軒町(くさどせんげんちょう)はかつて鎌倉時代後半~室町時代に芦田川河口で栄えた港町で、遺跡の調査により鍛冶屋の跡が見出され刀剣や鍛冶道具が出土しました。
かつてに芦田川中洲にあった草戸千軒の刀匠一乗屋敷について、
「草戸住の刀鍛冶法華一乗が稲荷を信仰し、草戸の自宅の傍に之を祀ると云う 」と記録にあります。

・広島県福山市鞆町

 広島県福山市鞆町後地には、室町時代中期に三原派の刀匠の流れを組む鞆三原の一族が氏神として祀った神社があり、現在でも毎年12月の第一土曜日、日曜日には、鍛冶屋など鞴(ふいご)を用いる人々が行う鞴祭りが行われています。
プロジェクトを立ち上げた背景

 備後国三原城二之丸鍛冶曲輪にあった正家の井戸が、JR山陽新幹線線三原駅建設工事により昭和47年2月頃になくなり現在は民間の駐車場となっています。また、JR山陽本線糸崎駅近くの三菱病院南側にあり、地元の企業によりかつて鎌倉末期に六代正家が鍛刀に使用した井戸が「刀匠正家使用の井戸」として平成元年に松を植えて整備されましたが、現在では松は切り倒され当時の姿をとどめず荒れ果てています。其阿彌家は、明治の廃刀令により刀鍛冶を止めましたが、地元の有志により興国日本刀鍛錬場が設立され、昭和17年2月に立命館日本刀鍛錬所で作刀されていた刀匠を招き、広島県御調郡原田村(現 尾道市原田町)にある鍛錬場で刀作りが始まりました。しかし、昭和20年(1945年)の敗戦により鍛錬場が閉鎖されました。また、最近「鬼滅の刃」の映画により、日本刀鍛錬所や鍛冶屋を見学される方がかなり増えたと言われています。残念ながら尾道市では、1619年(元和5年)に水野勝成が福山に入封すると一緒に移って来て、水野転封後、尾道に転居し何代も渡って住んでおられた広島県尾道市十四日元町(旧鍛冶屋町) の元刀鍛冶の方の鉄工所(鍛冶屋) が、平成10年代初めになくなりました。また、平成19年(2007年)5月には、江戸期の刀鍛冶が先祖という方が経営されていた鉄工所(鍛冶屋) について、「旧鍛冶屋町の古い鉄工所が解体撤去」との報道がありました。それ以降、旧鍛冶屋町には、特徴のある屋根部分に見える櫓(やぐら)のような建物がものはなくなりました。現在では、ほとんど町の鍛冶屋の姿を見ません。また、かつては、福山藩の阿部家のお抱えの刀鍛冶の末裔の方が尾道に移り住み刀剣の研ぎ師をされていましたが、平成になると廃業されました。
 令和3年(2021年)が、正家の歴史をサイトで公表してからちょうど20年になります。また、令和11年(2029年)が、初代正家が登場した天平元年(729年)から数えて1300年になります。今こそ、鍛冶職人の遺産を後世に残すべき、もっと深く歴史を研究しようと思います。

これまでの活動 かつての旧鍛冶屋町の鉄工所(鍛冶屋)では、毎年12月上旬に“ふいご祭り ”がありました。「夜になると、それぞれの鉄工所で宴会を開き、従業員に折り詰めや酒を振る舞い子ども心にも待ち遠しい日でした。」と当時の事をお年寄りからお聞きしましたが、すでに旧鍛冶屋町には鉄工所が1軒もなくなりもうこの祭りをこの場所で見ることが出来ません。平成5年(1993年)から正家に関する調査を開始し、その過程で郷土史家の先生や地元の御年輩の方に昔話をお聞きする中で、今後、伝承が伝わるかどうか、また、遺跡が守られていくか皆さんが大変悩んでおられました。  
 その中で、平成13年(2001年)8月15日には専用のサイ