現、そして、美容師さんたちが本来持っている個性を引き出すことを可能にしていきます。
「シェアサロン」というかたちは、近年広がりを見せていますが、場所や席をシェアするという従来のやり方をさらに発展させ、「自分らしく生きていくことを応援する、新しいシェアサロン」として、価値を発揮していきたいと思っています。
3.私がシェアサロンを開設を目指すまで
続いて、私がシェアサロンを作るきっかけとなった過去について、お話しさせてください。これまで、気恥ずかしさもあり、過去の挫折や失敗体験を人に語ることを避けてきました。しかし、今回のプロジェクトを支援していただくみなさまには、挫折や失敗も含め、私の原動力となっている体験を知っていただくことで、よりシェアサロンを作ることの意味を感じていただけると思います。
Ⅰ美容師を志してから東京での挫折まで
私が美容師を志したのは、中学生の頃です。中学生の頃から美容師さんを指名して、なおかつ、自分でスタイルを細かく指定して、髪を切ってもらっていました。自分の個性を表現することのおもしろさと喜びを感じ始めた時期であり、自らの個性を引き出し、表現してくれる美容師さんに憧れを持っていました。自分も誰かの世界観をかたちにできるような、そんな美容師さんになりたいと考えていました。
美容師になるという夢を追いかけて、高校在学中に東京の美容学校の通信科に入学します。東京の有名店で働きながら学ぼうと考えていたので、いくつもの有名店を受けましたが、私を雇ってくれる店はありませんでした。自分が思い描いていた理想と現実が、あまりにもかけ離れており、1年半ほどは、美容師とはかけ離れた仕事をしながら生活しました。深夜の工事現場で寒さに震えながら働いていたこともあり、ずいぶんと辛く苦しい時期でした。
そのような生活の中で、美容師として技術を高めるためには、有名店で働くことよりも、現場で経験を積むことが必要だと考えるようになりました。プライドや見栄を捨てて、努力してやろう、絶対にかっこいい美容師になってやろうと覚悟を決めた出来事でもありました。初めて経験する大きな挫折の体験と、そこから得た確かな決心をもって郡山に帰ってきました。
Ⅱ下積みのアシスタント時代からフリーランスデビューまで
郡山に帰ってきてから、先輩の紹介で、ある美容室のアシスタントとして働き始めました。アシスタントというのは、お客様の髪を切ることはせず、カラーやシャンプーなどの際に、お手伝いをさせていただくような立場です。同期や後輩が、スタイリストデビュー(お客様の髪を切ることができる状態)していく中で、なかなかデビューできず、先が見えない焦りや不安を感じていました。
ようやくデビューの時を迎えたものの、周りからの期待とは裏腹に、最初の頃の月の手取りは2万円でした。私の所属していた美容室では、スタイリストデビューを迎えた時から、個人事業主としての契約になるシステムだったため、自分自身で集客できなければお給料は上がらない仕組みでした。妻も娘も養なわなければいけないプレッシャーの中で、必死になって集客する方法を考えました。
私は、一人でも多くの方に自分のスタイルを知ってもらおうと考え、当時は珍しかったSNSに、スタイル写真をあげるようになりました。私の個性や強みを発信していくことで、私のスタイルを支持してくださるお客様が信頼を寄せてくださるようになり、少しずつ指名も増えました。
yoheiこだわりのスタイル写真
自分のスタイルを発信し続ける習慣は、昔と変わらず今でも続け